日本ハム・田中賢 早期の引退公表――引き際の美学改めた恩師の言葉

[ 2019年12月4日 09:00 ]

決断2019 ユニホームを脱いだ男たち(4)

引退セレモニー、花束を受け取り涙ぐむ田中賢(撮影・高橋茂夫)
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 日本ハム・田中賢には引き際の美学があった。「どんなに体は元気でもレギュラーではなくなったら辞める」。16年に二塁手として全試合に出場してリーグ優勝に貢献したが、17年以降は若手を積極的に起用するチーム方針もあり出場機会は激減。そして67試合の出場に終わった昨季終了直後の10月下旬。一度は引退を「決断」した。

 関係者らに電話で報告するとねぎらいの言葉を多くもらったが、ある恩師の言葉が胸に刺さった。「もうおまえぐらいの立場になったら自分が現役を続けたい、続けたくない、ではない。辞め方が大事だぞ」。既にシーズンの全日程が終了しており、全国のファンや関係者にとっては突然の引退発表となる。決断は揺らぎ、そこから1カ月以上も熟考。そして「引退報告と恩返しのため」に1年限定での現役続行を決め、昨年末の契約更改で「2019年限りでの現役引退」を表明した。

 早期の引退公表による重圧もあった。「首脳陣も“1軍で使わなければいけない”となるので結果は残さないといけない。だから1年を通して緊張感があった」と振り返る。今季も5月29日のロッテ戦で8回に代打で決勝の逆転2ランを放つなど代打打率・264。引退試合の9月27日オリックス戦では先発出場して2安打1打点だった。今季開幕前に語っていた「しっかり成績も残して惜しまれながら引退したい」という言葉を実践した。

 チームは04年に本拠地を東京から北海道に移転。それを契機に出場機会が増え、06年から二塁に定着した。数年後に居を構え、家庭も築いた北の大地は生まれ育った福岡に次ぐ第二の故郷。2年間のメジャー挑戦を終え、14年オフに日本球界復帰を模索した際も「日本でプレーするならファイターズしかない」と、他球団でのプレーや北海道以外での生活は考えられなかった。

 来季去就は未定だが、侍ジャパン監督も務める稲葉篤紀SCO(スポーツ・コミュニティー・オフィサー)のように球団に籍を置き、地域に根ざした活動を行う可能性は高い。ユニホームを脱いでも、愛する北海道に身をささげる。(山田 忠範)

 ◆田中 賢介(たなか・けんすけ)1981年(昭56)5月20日生まれ、福岡県出身の38歳。東福岡から99年ドラフト2位で日本ハム入団。04年の北海道移転後の5度のリーグ優勝全てに貢献し、13年から2年間はメジャーにも挑戦した。ベストナイン6度、ゴールデングラブ賞5度受賞。日本球界通算1499安打で打率.282、48本塁打、486打点、203盗塁。1メートル76、80キロ。右投げ左打ち。

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