高校野球延長規定の変遷 00年春から15回に短縮

[ 2017年9月19日 19:30 ]

 春夏の甲子園大会では、1958年夏から再試合の規定が設けられた。当時は延長18回に試合が決着しなかった場合で、準々決勝の徳島商―魚津が適用第1号となった。徳島商のエースは板東英二。板東が同年の春季四国大会で延長25回を戦ったことが、規定新設のきっかけになった。

 99年夏までは18回が上限とされ、延長引き分け再試合となったのは、春夏合わせて計4度しかなかった。69年夏の松山商―三沢の決勝は、高校野球史に残る名勝負として語り継がれている。

 98年夏の準々決勝の横浜―PL学園では、横浜の松坂大輔(ソフトバンク)が17回を一人で投げ抜き、250球を投じた。これを契機に、2000年春に18回から15回に短縮された。以後、06年夏決勝の早実―駒大苫小牧をはじめ、春は6度、夏は2度の再試合が行われている。

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