則本 6勝目も星野監督おかんむり「握手なんかできるか」

[ 2013年6月7日 06:00 ]

<ヤ・楽>6勝目を上げた則本を迎えた星野監督だったが「あんなピッチングで握手なんてできるか!」とおかんむり

交流戦 楽天9-4ヤクルト

(6月6日 神宮)
 闘将は、やはり闘将だ。交流戦の首位に再浮上、そして勝利のハイタッチ。しかし楽天の星野監督は、6回8安打3失点で白星を手にした則本と握手することなく、ルーキーに向かって怒声を発した。

 「あんなピッチングで、ちゃんと握手なんかできるかっ!」。何より勝利は欲しい。しかし、より高みを目指しているからこそ、内容も欲する。だから怒った。監督通算1082勝。勝負の世界で長く生きている男は、心から笑うことなどできなかった。則本は3回、先頭の投手・石川への四球から2失点。「最悪だよ。投手に四球を出してヒーヒー言っとって…。疲れるっ!」。両リーグの新人単独トップとなる6勝目には「知らん!」と一喝だ。そんな星野監督の3分の1しか人生を生きていない、22歳の右腕は「全然駄目。まだ青い(若い)です」と、自覚を込めて振り返った。

 残り6試合。ソフトバンクと並んで、再び交流戦首位に浮上した。球団創設9年目。悲願の「初V」が視界に入ってきた。星野監督にとって優勝となれば、阪神を率いていた03年以来となる。その時、指揮官の横に常に控えていたのが、07年12月15日に亡くなった島野育夫さん(享年63)だ。この日の試合前。都内の宿舎でコーヒーを飲んでいた指揮官は、ヘッドコーチとして自身を支え続けてくれた島野さんとの思い出を振り返り「ほんまにいい男だったなぁ…」と、何度も何度も繰り返した。中日時代を含め、監督として過去3度のV。そのそばには「裏方さんにも、本当に気を使ってなあ」という島野さんが必ずいた。今年で亡くなって6年。「また墓参りにいかんと」――。生涯の盟友。最高の報告をするためにも、闘将は必死に前を向く。

 「残り6試合じゃない。1試合や。これが最後、これが最後…でいくんだよ」。何も抱えず、背負わず生きている人など、一人もいない。宿願のリーグ制覇へ。そのプロローグとして、何としても交流戦Vをもぎ取る。

 ▼楽天・嶋(6勝目の則本について)(3回の)投手への四球がね。でも疲れも出てくる時期。頼りになる投手ですよ。

 ◆星野監督と島野コーチ 現役時代に中日、南海、阪神でプレーしていた島野氏は86年に中日外野守備走塁コーチに就任。翌87年、星野監督が中日の指揮官となった。島野さんは川上巨人のV9を支えた牧野茂ヘッドコーチに「弟子入り」。参謀役としての心得など、V9時代のさまざまなエキスを伝授してもらっていたという。星野監督が阪神監督に就任した02年には、島野さんが中日から移籍。固い絆で結ばれていた2人は翌03年、優勝を手にすることになる。

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2013年6月7日のニュース