“エペ陣”改めエペジーーン フェンシング初の頂点!黄金の突きで歴史を変えた!

[ 2021年7月31日 05:30 ]

東京五輪第8日 フェンシング男子エペ団体 ( 2021年7月30日    幕張メッセ )

<男子エペ団体決勝>ポイントを奪う山田(撮影・会津 智海)
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 男子エペ団体が黄金の歴史を刻んだ。見延和靖(34=ネクサス)、山田優(27=自衛隊)、加納虹輝(23=JAL)、宇山賢(29=三菱電機)で臨んだ世界ランク8位の日本は準々決勝で五輪3連覇中の世界1位フランスを45―44と劇的逆転で破ると、決勝でも同7位のROC(ロシア五輪委員会)を45―36で撃破。フェンシング全種目を通じて初の金メダル獲得となった。

 無観客の幕張メッセに、勇者たちの雄叫びが響く。男子エペ史上初の表彰台は、ともに銀メダルだった08年北京の男子フルーレ個人の太田雄貴氏(日本協会前会長)、12年ロンドンの男子フルーレ団体を超えて日本フェンシング界で初めての金メダル。殊勲の汗が光るピストで歓喜を爆発させた4人は、黄金の現実をなかなか受け入れられなかった。

 見延「心を一つにすることを意識してきた。いまだに信じられない」

 山田「勝てて夢みたい。みんなで勝てて本当にうれしい」

 加納「これが夢じゃないことを今、祈っています」

 宇山「実感がない」

 世界1位のフランスと激突した準々決勝は、先にマッチポイントを握られながら逆転勝ち。ROCとの決勝は1人目の山田でリードを奪うと、一度もリードを許さずに終盤に向かう。37―33と4点リードでアンカーの加納が対峙(たいじ)したのは、世界2位のビダ。25日の個人を含め過去3戦3敗だったが、チーム最年少23歳は「苦手意識はなかった」と果敢に攻め、44―36から接近戦を制して金メダルを決めた。

 マイナー競技で、わずかに日が当たってきたのは、太田氏を中心に結果を残してきたフルーレ。エペの選手は悔しさを胸に剣を握り続けてきた。見延が18―19年に年間世界ランク1位となり、19年3月には団体でW杯優勝。山田は昨年3月にGP大会を制した。メンバー全員が「史上最強」と自負するチームが、競技人口も多く、選手層が厚いとされるエペで世界の頂に駆け上がった。

 19年4月、主将の見延がチームの愛称を発表した。その名は“エペジーーン”。「ジーンと感動させるチームという思いを込めて“エペジーーン”で。棒(ー)は2つでお願いします」。この日は米国との1回戦のみの出場だったが、ピストの外から仲間を鼓舞。「エペジーーン、最高ですね!」と誇らしく笑った。

 攻撃は突きのみで、有効面が上半身のフルーレと全身のエペ。その違いもまだ浸透していないかもしれないが、未来はきっと変わる。「日本といったらエペと言われるくらいまでいかないと。裾野を広げて、エペを普及していきたい」と見延。“エペジーーン”の4人が見せた黄金の剣さばきは、確実に人々の心を捉えた。(杉本 亮輔)

 ▼フェンシング団体戦 1チーム3人で、総当たりの計9試合で争う。1試合(3分間)で5ポイントを先取した方が勝利し、3分間が経過した場合はポイントの多い方が勝利。45点先取したチームか、9試合終了時に得点の多いチームの勝ち。同点の場合は、1分間で1点先取の延長戦が行われる。

 ▼エペ フェンシングの種目の一つ。有効面はフルーレの胴体部、サーブルの上半身に対して足の裏を含めた全身と最も広い。さらに攻撃権のルールがあるフルーレ、サーブルと異なり、先に突いた選手がポイントを得る。本場欧州でも人気が高い。

 ◇山田 優(やまだ・まさる)1994年(平6)6月14日生まれ、三重県出身の27歳。三重・鳥羽―日大。自衛隊所属。14年世界ジュニア選手権個人でエペの日本勢として初制覇。20年のグランプリ大会で初優勝を果たした。妻の里衣(りえ)さん、姉あゆみさんも世界選手権に出場経験がある。1メートル84、73キロ。

 ◇見延 和靖(みのべ・かずやす)1987年(昭62)7月15日生まれ、福井県出身の34歳。福井・武生商―法大。ネクサス所属。18年アジア大会団体優勝、全日本選手権優勝、19年GPブエノスアイレス大会団体優勝。1メートル77、75キロ。

 ◇加納 虹輝(かのう・こうき)1997年(平9)12月19日生まれ、愛知県出身の23歳。山口・岩国工―早大。JAL所属。19年W杯バンクーバー大会優勝、GPブエノスアイレス大会団体優勝。1メートル73、64キロ。

 ◇宇山 賢(うやま・さとる)1991年(平3)12月10日生まれ、香川県出身の29歳。香川・高松北―同大。三菱電機所属。19年GPブエノスアイレス大会団体優勝。1メートル90、73キロ。

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