順大 花沢 難病に負けず10区を駆け抜ける「すごく楽しかった こんな声援の中を走れるなんて」

[ 2018年1月3日 18:14 ]

第94回箱根駅伝 ( 2018年1月3日    箱根・芦ノ湖~東京・大手町 復路5区間109・6キロ )

チームメートに抱えられる順大・アンカーの花沢(中央)
Photo By スポニチ

 難病に負けず、夢舞台を駆けた。順大は11時間14分39秒の11位で、10位の中央学院大に14秒及ばず。19年大会のシード権獲得はならなかったが、10区の花沢賢人(4年)が中央学院大を猛追。2年時に「強直性脊椎炎」を発症し、出場を諦めていた箱根路で、50秒も差を縮めて沿道を沸かせた。

 走る前から、花沢の目は潤んでいた。付き添いの仲間が「大手町で会おう」と言ってくれた。9区の中村がタスキを運んできてくれた。視界がにじむ中、最初で最後の箱根路に飛び出した。スタート時点で、10位の中央学院大と1分4秒差。向かい風に抗い、懸命に追った。シード権にはわずかに14秒、届かなかった。

 それでも、花沢は胸を張った。「すごく楽しかった。こんな声援の中を走れるなんて。走ることができて、嬉しい」。そして、ゴールで迎えた栃木主将は称えた。「花沢が攻め続けて、最後14秒差まで来てくれた。希望を与える走りを見せてくれた」。苦難を乗り越え、たどりついた夢舞台だった。

 1年で全日本大学駅伝の2区を任されるなど、将来の主力候補だった花沢だが、2年時に腰痛に襲われた。16年の箱根駅伝後、告げられた病名は「強直性脊椎炎」。指定難病だった。「寝てから朝になって動くのに30分、起き上がるのに30分、50メートル歩くのに20分かかった」。とても、箱根駅伝を目指せるような状態ではなかった。

 仲間が順調にタイムを伸ばす中、「くさった。相当、くさった」と言う。辞めても不思議ではない中、なぜシューズを脱がなかったのか。「自分自身、どうなりたいかを考えた。陸上が好きだった。今やるとしたら、陸上だ、と」。完治は見込めない。今も気温の変化が激しい秋や、低気圧の接近に伴い腰に痛みが出る。

 昨夏には両スネを疲労骨折。走りたい区間を問われると「11区」と答えるなど、箱根は諦めていた。昨年12月10日、花沢の状態を見極めるために行われた練習で好走。「最後のチャンスだし、ダメ元でやっちゃえと思ったら走れた」。温情じゃない。自力でつかんだ夢切符。1時間13分2秒、23キロを全身で堪能した。

 卒業後はJR東日本に入社し、競技を続ける。目標は20年東京五輪でも、世界選手権でもない。「駅伝をメーンでやっていきたい。どの区間を任されてもいいような駅伝の選手になりたい」。ステージは変わっても、箱根で得た経験が、花沢の背中を押す。(杉本 亮輔)

続きを表示

2018年1月3日のニュース