04年には弟子急死…苦労多かった田子ノ浦親方「心労たたったのだろう」

[ 2012年2月14日 07:56 ]

1991年五月場所で仕切りをする幕内・久島海
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 大相撲の元幕内・久島海の田子ノ浦親方(本名・久嶋啓太=くしまけいた)が13日、東京都墨田区内の病院で死去した。死因は不明。46歳。

 和歌山・新宮高時代に史上初めて高校生でアマチュア横綱に就き、日大でも学生横綱になるなど活躍した。将来を嘱望されて88年初場所で初土俵を踏んだが、相次ぐケガに泣き最高位は前頭筆頭だった。

 98年秋場所を最後に引退し、00年2月に田子ノ浦部屋を創設。しかし師匠としても苦労が多かった。04年8月に弟子の三段目・吉村が17歳で多臓器不全で死去。08年6月にも部屋所属だった呼び出し・扇太郎(享年25)が帰郷中に急死。自らも03年に急性心筋梗塞で倒れ緊急入院した。歌や料理がうまく読書家で頭脳は明晰(めいせき)。年寄名跡問題で揺れる中で年寄会の副会長を務めた。真面目な性格ゆえ「心労がたたったのだろう」と気遣う親方衆は多い。

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