田子ノ浦親方急死 部屋で吐血し病院搬送も間に合わず

[ 2012年2月14日 06:00 ]

死去した元幕内久島海の田子ノ浦親方

 大相撲の元幕内・久島海の田子ノ浦親方(本名・久嶋啓太=くしまけいた)が13日、東京都墨田区内の病院で死去した。死因は不明。46歳。和歌山県出身。和歌山・新宮高時代に史上初めて高校生でアマチュア横綱に就き、日大でも学生横綱になるなど活躍した。88年初場所で初土俵を踏み、最高位は前頭筆頭だった。葬儀・告別式は未定。

 田子ノ浦親方は13日午後4時45分ごろ、自宅を兼ねる部屋で家族と一緒にいた際、突然吐血して倒れたという。すぐに墨田区内の病院へ搬送されたが、既に心肺停止状態だった。病院には同じ出羽海一門の親方が駆けつけたが、祈りは届かなかった。死因は分かっていない。この日朝も弟子を連れて春日野部屋などへ出稽古していた。警視庁に通報があり部屋には警官の姿もあったが、事件性はないとみられる。

 高校生で全日本選手権を制すなどアマチュア時代は無類の強さを誇り「怪物」「クッシー」などと呼ばれた。200キロを超える巨体で右四つからの寄りや小手投げを得意とし体も柔らかく将来を嘱望された。しかし89年名古屋場所で新入幕を果たした後は伸び悩んだ。首、肩、腰、膝のケガもあり、3度も前頭筆頭まで上がりながら三役にはなれなかった。引退届提出の日には「子供の時から相撲漬けで体はケガだらけ。どこか相撲に飽きていた」と話していた。

 師匠としても苦労が多かった。04年8月には当時三段目だった弟子が、08年6月にも部屋所属だった呼び出しが急死。自らも03年に急性心筋梗塞で倒れ緊急入院した。

 昨年7月の名古屋場所でブルガリア出身の碧山が部屋創設以来初めて新十両に昇進。「白鵬を倒す力士に育てたい」と夢も描いていた。春場所で新弟子が3人入門する話もあり、さあこれからという時だった。残された弟子たちは出羽海部屋に移籍する見通しだ。

 ◆田子ノ浦 啓人(たごのうら・けいひと)本名・久嶋啓太、1965年(昭40)8月6日生まれ。和歌山県新宮市出身。新宮高時代は3年連続高校横綱。3年時に全日本選手権も制し高校生初のアマ横綱。日大時代も3年連続学生横綱になるなど獲得した個人タイトルは歴代最多の28個。出羽海部屋に入門し、88年初場所で幕下付け出しでデビュー。89年名古屋場所で新入幕。最高位は東前頭筆頭で、三賞は敢闘賞を2回受賞。98年秋場所を最後に引退。幕内通算237勝273敗15休。00年2月に田子ノ浦部屋を創設。

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