光浦靖子 「とぶくすり」時代はマネジャーなし「番組から出禁になっちゃって」

[ 2021年7月6日 14:23 ]

「オアシズ」光浦靖子
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 お笑いコンビ「オアシズ」光浦靖子(50)が5日深夜放送のTOKYO FM「TOKYO SPEAKEASY」(月~木曜深夜1・00)に出演。フジテレビ「とぶくすり」時代にマネジャーが現場への出入りを禁止されていたことがあることを明かした。

 光浦は幼なじみの大久保佳代子(50)と大学在学中にコンビを結成してデビュー。コンビで1992年にフジテレビ「新しい波」に出演。代表となった「めちゃ2イケてるッ!」(1996年)の前身番組出「とぶくすり」(1993年)には光浦一人で出演することになる。

 当時について「最初はいびつな現場だったから。バブルは弾けてるんだけど、まだ名残があって、テレビ業界ってまだバブルだったんだよね。片岡飛鳥さんって人が20代のディレクターで、自分の力だけでお金無いけど、深夜のバラエティー番組を作るって言って、尖ってる感じも良しとする時代だった」と回顧。「制作費もなくて、タクシー券とかもウッチャンナンチャンの番組の番組名が書いてあるタクシー券をうちらがもらって乗ったりとか、そういう感じ」と振り返った。

 さらに「メンバーも事務所から好かれてない人を選んだ」と、ぶっちゃけ。「ナイナイとかも王道のようで王道じゃない。天素(吉本印天然素材)にいたけど、天素を辞めたいとか辞めるとか(言っていた)。極楽(とんぼ)なんてどこも面倒みてもらっていない、東京吉本できたてところにいて…私は私で、大学生から急にネタ見せ行って、受かっちゃって。マネジャー4年間付いてなかったんだもん」と苦笑した。

 「ADさんから直接FAXが来て(現場に)行っていた。人力舎には所属してんのよ。所属してるのに、マネジャー付けてくれなくて」と光浦。「あんまりマネジャーの態度が悪くて、番組から出禁になっちゃって…人力舎ごと。私だけがADさんから直接FAXもらって、直接行くっていうのを4年もしてたよ。解禁されたのが『めちゃイケ』始まって(から)。人力舎のマネジャーがあの現場に入れるようになったのは4年ぐらい経ってたから」と明かした。

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2021年7月6日のニュース