勘三郎さん、三津五郎さんの心生きる「納涼歌舞伎」

[ 2016年8月26日 11:05 ]

八月納涼歌舞伎公開稽古に出席し、意気込みを見せる(前列左から)坂東彌十郎、中村扇雀、中村橋之助、(後列左から)中村七之助、中村獅童、市川染五郎、市川猿之助、中村勘九郎

 先日、歌舞伎座で「八月納涼歌舞伎」(28日まで)を観賞した。笑福亭鶴瓶(64)が高座で披露していた新作落語「廓噺山名屋浦里」を、中村勘九郎(34)と中村七之助(33)の兄弟が歌舞伎の舞台にアレンジ。堅物の武士と当代随一の花魁(おいらん)による人情物で、鶴瓶の高座を聴いた勘九郎が「絶対に歌舞伎に合う」と確信を持って舞台化した作品だ。勘九郎の目論見通り、歌舞伎ファンにも好評で、落語が元ネタだけに笑いの頻度はかなり高いが、古典の世話物にもヒケをとらない出来栄えだった。

 制作発表には鶴瓶も出席。自身の落語噺が伝統と格式の歌舞伎座に乗る、という事実をとても喜んだ。また鶴瓶は兄弟の父で故中村勘三郎さんとは大の親友。鶴瓶は公演の制作発表で「哲(のり)ちゃん(勘三郎さん)が天から糸を引いてくれたんかもしれんなあ」と話し、うっすらと涙を浮かべた。

 歌舞伎座での「八月納涼歌舞伎」は1990年にスタートした。昔は8月の客入りは悪く、歌謡ショーなどに開放していたのだが、勘九郎と七之助兄弟の父・故中村勘三郎さん(当時勘九郎)と故坂東三津五郎さん(当時八十助)が自由な発想と、若い世代に機会を広く与えるのを目的に始めた。勘三郎さんは人気劇作家で演出家の野田秀樹氏(60)と組んで、新作を続々と上演した。父の遺志を引き継ぐように「納涼歌舞伎」で大胆な新作を披露した勘九郎と七之助兄弟。そんなドラマが「廓噺山名屋浦里」には息づいている。

 今回の「納涼歌舞伎」では市川染五郎(43)と市川猿之助(40)の「東海道中膝栗毛」も上演されている。東海道なのにラスベガスにまで行ってしまうキテレツ道中で、ラップは鳴るわ、ダンスは踊るわ、アラブの石油王まで出てくる抱腹絶倒の舞台。歌舞伎座で客席が縦ノリになったのは100年を超える歴史でも初めてだったのではないだろうか。

 2012年に勘三郎さんが57歳で亡くなり、その3年後には三津五郎さんが59歳で亡くなった。歌舞伎界の軸となるべきだった2人の早世は、若い世代に大変な喪失感を与えた。ただ、2人が伝統を重んじながら歌舞伎を現代に生きる芸術として昇華しようと努力を続けたように、若い世代も現代の空気を取り入れながら新しい歌舞伎の世界の表現を試みているのが感じられた「納涼歌舞伎」だった。(記者コラム)

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2016年8月26日のニュース