大橋巨泉さんを悼む…本当に昭和が終わった 民放らしさつくり上げた

[ 2016年7月20日 14:04 ]

 ▼タレントの関口宏の話 「病との闘い」の後半生。何度かお話を伺ってきましたが、残念です。永六輔さんと同じ時期の旅立ちには、深いご縁を感じます。お二人とも間違いなく、テレビの創成期の立役者です。民放らしさをつくり上げた巨泉氏の功績は大きなものがあったと思います。私はTBSの「ギミア・ぶれいく」でご一緒しましたが、仕事以外のゴルフ、飲み会での楽しい思い出が残されました。ありがとうございました。

 ▼女優中村メイコの話 (巨泉さんは)私と同じ昭和9年生まれですが、戦前のイメージがまったくなかった。次々と生み出した新語は、いかにも戦後っぽくて、昭和のにおいがプンプンする人でした。偉そうに話すスタイルが“巨泉流”でしたが、内面はシャイだった。最近、永六輔さんが亡くなったばかりで、ああ、これで本当に昭和が終わったなと感じます。

 ▼番組「クイズダービー」で共に司会をした小池達子アナウンサーの話 びっくりしました。大橋さんは司会をしながら演出もした。解答者の性格を把握し、その人の一番面白いところを引き出す話術があった。永六輔さんと共にテレビの草創期から黄金期にかけて功績があり、テレビ界の大きな星だった。丸い顔、大きな声で笑う姿が思い出されます。

 ▼俳優石坂浩二の話 無念の思いでいっぱいです。ヨーロッパの美術館巡りをもう一度とおっしゃっていただいていたのに、ついに行かれなくなってしまいました。たくさんの巨泉さんの姿と言葉が頭の中を巡っています。これからも忘れず、思い起こしては自分の励みにしていきたい。たくさんのことを教わり、学ばせていただきました。ありがとうございました。

 ▼コメディアンの萩本欽一の話 テレビの新しい可能性を見いだしたパイオニアで、みんながその才能を使いたがった。巨泉さんがテレビで普段使っている言葉がそのまま流行語になった。「欽ドン!」の「ばかウケ」も実は巨泉さんの言葉。競馬やマージャンまでテレビにしてしまい番組の幅を広げた。今のテレビは巨泉さんが開拓した道を継承している。いまだに同じようにテレビの可能性を探っている僕にとっては教えを授けてくれた人で、本当に感謝している。

 ▼漫画家藤子不二雄Aさんの話 巨泉氏とはもう40年のつき合い。仕事上の接点はなかったが、ひょんなことから知り合いになった。「笑ゥせぇるすまん」の喪黒福造のモデルは彼。あの体形と独特な顔ね。性格はまったく違うけど。本人に言ったら「またあ、僕を使って」と笑っていた。巨泉氏はとにかくゴーイング・マイウエー。妥協せず自分の人生を貫いた人。それを何十年もやってきたから、満足しているんじゃないか。

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2016年7月20日のニュース