唯一無二の「水木ワールド」 手塚治虫さんと並ぶ漫画界の“双璧”

[ 2015年12月1日 06:42 ]

04年3月、「水木しげる記念館」のロビーの壁に鬼太郎とねずみ男の絵を描く水木しげるさん

水木しげるさん死去

 水木さんは日本漫画界において、異色の存在だった。漫画家で漫画評論も手掛けるいしかわじゅん氏(64)は「水木さんはワンアンドオンリー。突出していた」と話す。

 当初の作風は陰惨で憂うつ。「最底辺から出てきて頂点に立った人。戦争体験、紙芝居や貸本作家として極貧生活を送った経歴など、自分の経験を反映させていた。独特の感覚があった」と解説する。本来はおどろおどろしく恐ろしい妖怪が、「ゲゲゲの鬼太郎」が人気を得ていくにつれ、ユーモラスで愛らしいイメージに変化。暗くて重い背景に、ほのぼのした空気が加わり“水木ワールド”が生まれた。

 水木さんが人気作家となった1960年代は、少年漫画誌が巨大産業に成長した時代。同時に“漫画の神様”手塚治虫さんの勢いに陰りが見えた時期でもあった。「丸っこく、ほのぼのした手塚漫画と対極のものが求められていた。手塚さんから一番遠いところにあったのが“怪奇漫画”の水木さんだったのではないか」と分析した。

 「子連れ狼」などで知られる漫画原作者の小池一夫氏(79)は「妖怪という一大ジャンルを作った神様のような人。漫画界での功績は手塚さんと双璧」。キャラクターを作る力を高く評価し「目玉のおやじが茶わんの風呂に入っているという発想は、普通の人にはたどり着けない」と語った。

 デビュー前に水木さんのアトリエを訪れアドバイスを受けた「釣りキチ三平」の矢口高雄氏(76)は「手塚調、石ノ森調という漫画家はいても、水木調という作家は出なかった。独特すぎて誰もまねできなかった」と振り返る。「左肩で原稿を押さえ、凄い迫力で原稿を描いておられた。“漫画は迫力がないと誰も読まない”と言われた。30歳の銀行員で2人の子供がいる僕に“やりたいことをするのが一番いい”と漫画家になることを勧めてくれた」と別れを惜しんだ。

 鬼太郎やねずみ男など漫画的なキャラクターと対照的に、背景は緻密な線や点描を重ね写実的。そのアンバランスが独特の世界観を作り出した。

 ▼「ねじ式」などの漫画家つげ義春氏 漫画界にとって大きな損失です。私の仕事が減って生活に困っていた時、ちょうど水木さんが忙しくなっていたので手伝うことになった。それが何年か続いた。水木さんに教わったのは、絵を細かく丁寧に描くということ。本当はシャイな人だけれど、表向きはおおらかに振る舞った。ひと言で言えば、大人物だった。

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