阿部寛 内なる「部品」磨き続けた51年 挫折、葛藤乗り越え

[ 2015年12月1日 09:30 ]

「佃製作所」の作業着を着用して撮影に応じてくれた阿部寛。渋みを増した51歳の演技力は必見だ

 快進撃を続けるTBS「下町ロケット」(日曜後9・00)。第5話で民放連続ドラマの今年度最高平均視聴率20・2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した人気をけん引するのが阿部寛(51)だ。部品作りにかける町工場の社長役は、華やかな容姿と一見結びつかないが、自ら「巡り合えた」と表現する当たり役に。そこには内なる「部品」を磨き続けてきた、自身の俳優人生が重なっていた。

 雄大なロケットをほうふつさせる大きな体躯(たいく)。エネルギッシュだ。細部にこだわる「下町ロケット」は、全国から作品に合うロケ地を厳選するため撮影日程は過酷。後編のガウディ計画編に入り撮影場所はさらに広範囲になった。でも疲れなどみじんも感じさせない。

 「福井県に行って、6時間車で次の日に関東のスタジオとか。きのうも(千葉県)銚子。それでも、僕はちゃんと寝てます。スタッフは大変だと思いますよ」。周囲を思うまなざしは、主人公・佃航平そのものだ。

 社会現象になったドラマ「半沢直樹」と同じ池井戸潤氏原作で、演出の福澤克雄氏以下、「半沢」と同じスタッフで制作。中小企業と巨大勢力のせめぎ合いを軸に、ニッポンの技術力を支える、個々の人間の熱さを描く。

 「半沢直樹を見て凄く面白かったし、パワーとスケールを感じ、福澤さんと一緒にやってみたいと思っていた。自分がやって、どのくらい(視聴率が)行くのかなと。組んでみると、なんと言うのかな。作品への“放熱”が凄い」

 いいものを撮るための手間は惜しまない。その一つが精密なセット。建造物内を再現する場合、天井がないのが一般的だが「天井がついてるんです。役者としてはこれがうれしい。また佃の実家にしても、庭まで完璧に造られている。庭は撮らないんですよ?」。物語を地でいく熱量で、話題作は作られている。

 舞台の工場には縁が深い。「父が機械工だったんで、部品を作ってきた人間」。重機関係に携わっていた。横浜市で3人兄弟の末っ子として育った幼少期に「いつもミニカーとか、でっかいダンプの模型とかを持って帰ってくれるのを自慢に思っていた」と振り返る。

 父も兄も理系。「僕も数学得意だし、就職率もいい。宇宙に憧れもあった」と中央大理工学部に進学。在学中に「景品の車欲しさに」応募した「ノンノボーイフレンド大賞」で優勝。「メンズノンノ」で3年半連続表紙を務めるなどカリスマモデルとしてバブル期のモデル人気をけん引した。

 でも、栄光ははかなかった。俳優に転向するも鳴かず飛ばず。「5年間は相当厳しかった」。他のキャストと調和しにくい高身長と、役柄が限られる顔の濃さが、俳優としては不利に働いた。

 「何より、僕は若いとき、一つ一つの仕事に命を懸けるという発想が全くなかった。下積みも何もない状態で、こだわりも何もない人が成功するわけがない。売れてしまった名前と、どんどん必要とされなくなっていく現実との間で、うろたえ葛藤するしかなかった」

 佃製作所が製作したバルブが不具合を起こした時、打ち上げの全てがストップしたように、部品一つでもダメならロケットは飛び立てない。窮状に面しても、どうすればいいかさえ分からない若き阿部は、まさに飛ばないロケットだった。

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