のりピー「痛惜の念」 2日前に相澤さんへ謝罪の手紙送っていた

[ 2013年5月25日 08:30 ]

89年5月、酒井法子の父の葬儀に付き添う相澤さん(当時社長)

 芸能事務所「サンミュージック」の会長、相澤秀禎さんの悲報に芸能界には大きな衝撃が走った。最も長い3年半の下宿生活を送った酒井法子(42)はマスコミ各社にファクスで「幾多の厚情を思い、痛惜の念でいっぱいです」と悲しみのコメント。相澤さんが他界する2日前に病床の恩師に思いの丈をつづった手紙も送っていた。

 酒井はこの日「幾多の厚情を思い、痛惜の念でいっぱいです。いつも太陽のように暖かな笑顔で励ましの言葉をかけ続けてくださり本当にありがとうございました」とコメントを発表。恩人への感謝と後悔をつづった。

 相澤さんの体調が悪化していると知ったのは1週間ほど前。病院へ見舞いに行くことを希望したが、相澤さんの体調が思わしくなかったため断念。代わりに手紙を書いて、関係者が21日に届けた。一連の騒動に触れ「ご迷惑をお掛けしました」などと謝罪し「1日も早く元気になってほしい」と回復を祈った。関係者が相澤さんに読んで聞かせると、感激した様子で「うん、うん」とうなずいていたという。

 中学3年だった85年12月から高校卒業まで約3年半にわたって相澤さん宅で下宿。この間、相澤さんが「のりピー語」を考案し、これまでにないアイドル像を築いた。

 09年の薬物事件を受けた解雇会見の時には、珍しく相澤さんが憤った。「裏切られた気持ち」。その顔は苦渋に満ちていた。酒井は4歳で実母と死別、複雑な家庭環境で育ち「自分の息子には同じ思いをさせまい」と誓っていたのに、長男を裏切ってしまったからだ。

 その一方で、芸能界への復帰も陰ながら支えてくれた。今月20日に、復帰を後押ししてくれた建設会社会長の一周忌を終えたばかり。相次ぐ恩人の訃報に酒井は立ち直れないほどショックを受けているという。

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2013年5月25日のニュース