「ぴんからトリオ」宮史郎さん死去 「女のみち」が大ヒット

[ 2012年11月20日 06:00 ]

10月の新宿区の敬老会で最後のステージに立つ宮史郎さん。合田道人(左)に体を支えられながらステージに上がる

 「宮史郎とぴんからトリオ」で1972年に「女のみち」を大ヒットさせた演歌歌手の宮史郎(みや・しろう、本名宮崎芳郎=みやざき・よしろう)さんが19日午後1時5分、多臓器不全のため都内の病院で死去した。

 69歳。兵庫県加西市出身。通夜、葬儀は近親者のみで行う。同曲は現在も歴代2位のヒットシングルとなっている。

 関係者によると、宮さんは10月中旬、「熱っぽい」と体調不良を訴え、なかなか回復しないため今月3日に入院。多数の臓器に疾患が見られ、薬物による治療を続けていた。19日に容体が急変し、夫人や娘にみとられながら息を引き取った。

 最後の歌唱は10月18日に新宿区内で行われた敬老会のステージ。数曲を歌う予定だったが、不調を訴えて「女のみち」のみの1曲に変更。共演した歌手の合田道人(50)によると「体が震えていて、足腰もフラついていた」という。最後に「来年も元気にこのステージに出ます」と誓うと大きな拍手を受けたが、約束は果たせなかった。

 兵庫県姫路市のキャバレーで働きながら、歌手活動を開始。63年に兄の宮五郎さんらと「ぴんからトリオ」を結成。「ピンからトリをつかみたい」と命名した。♪私がささげた、その人に…で始まる自作詞の「女のみち」(作曲は並木ひろしさん)は発売当時で約326万枚を売り上げるヒット。その後も約420万枚まで売り上げを伸ばし、オリコンシングルチャートでは現在も「およげ!たいやきくん」(75年発売、450万枚)に次ぐ歴代2位に君臨している。

 72年の「女のねがい」も170万枚、翌73年の「女のゆめ」は80万枚など、“女シリーズ”で次々とヒットを飛ばした。73年に並木さんが脱退したため「ぴんから兄弟」に改名し、同年のNHK紅白歌合戦に出場した。

 九一分けの独特のヘアスタイルに口ひげの風貌で親しまれ、映画や舞台にも出演。83年の解散後、ソロでも「片恋酒」などをヒットさせ、最後までド演歌路線を貫いた。五郎さんは94年、並木さんは98年に亡くなっており、一世風靡(ふうび)したトリオの最後の1人も帰らぬ人となった。

 ◆宮 史郎(みや・しろう)本名宮崎芳郎。1943年(昭18)1月17日、兵庫県生まれ。61年にコミックバンド「スパローボーイズ」を結成し芸能界入り。芸能活動50周年となった09年、「女のみち パート2」を発売した。

 ▼園まり(歌手、最後のステージで共演)本番を終えてから、一緒にまた元気になってやりましょうと声を掛けて握手しました。5年前に映画「歌謡曲だよ、人生は」のキャンペーンで一緒に大阪に行ったことも思い出です。

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