阪神レジェンド、若林忠志の遺品が甲子園歴史館へ 米国在住の長男「父の功績を後世へ」と寄託

[ 2023年9月21日 18:13 ]

甲子園歴史館に若林忠志氏の新たな史料を寄託した長男・若林忠雄氏(撮影・後藤 正志)
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 阪神球団創設時のエースで監督も務めた故・若林忠志氏(1965年、57歳で死去)の入団当時の選手証など遺品が21日、甲子園歴史館に新たに展示された。長男で米カリフォルニア州ハンティントンビーチ在住の検眼医、若林忠雄さん(88)が来日し、「父の功績を後世に伝えたい」と同館に寄託した。

 遺品は、阪神球団創設初年度1936(昭和11)年「大阪タイガース」当時と41年「阪神軍」当時の選手証(身分証明書)、戦後49年に来日したサンフランシスコ・シールズとの日米野球に全日本の投手として出場した際の記念盾、ベーブ・ルースやフランク“レフティ”オドールから贈られたサインボールなど約30点。このうち数点が館内の若林忠志コーナーに展示された。

 5人きょうだいの忠雄さんは「弟や妹たちも僕が父の遺品を持っているとは知らない。みんな戦争で焼けてしまったと思っている。僕は父から直接渡されたり、母から“あなたが持っておきなさい”と託されたりしていました」と話した。戦前の品は父の故郷であり、大学生活を送ったハワイに持ち帰り、戦後渡った米国本土でも大切にしてきた。

 「このまま僕が持っていても仕方ないので、多くのファンの方々に見ていただき、父親の功績を長く、伝えられたら幸いに思う」

 阪神では2011年、現役時代、社会貢献・慈善活動やファンサービスに尽くした若林氏の功績をたたえ、「若林忠志賞」を創設。毎年、選手を表彰している。「父はクリスマスも元日も家にはいませんでした。“おまえたちはちゃんと両親がいるから十分じゃないか”と言って、恵まれない子どもたちの支援を懸命にしていました。父は何も自分がたたえてもらおうとしていた行為ではありませんが、こうして名前が残っているのは素晴らしいですね」

 前日20日には、ファーストピッチセレモニーでマウンドから投球した2018年以来、5年ぶりに甲子園球場で観戦。「本当は優勝の瞬間を見に来たのだけど」と苦笑い。18年ぶりのリーグ優勝を「長く待ったねえ」と喜んだ。「次に日本一になるまで喜びすぎないようにしないとね」とエールを送った。  (内田 雅也)

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