ロッテ朗希弟の大船渡・佐々木怜希を元審判員記者がジャッジ!最速139キロも藤川球児ばり“火の玉”直球

[ 2023年7月8日 04:44 ]

ブルペンで投げ込む大船渡・佐々木怜希(撮影・吉田 剛)
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 11年から6年間、NPB審判員を務めた柳内遼平記者(32)が、フル装備で選手たちの魅力をジャッジする「突撃!スポニチアンパイア」の第7回。ロッテ・佐々木朗希投手(21)の弟で、大船渡(岩手)のエース右腕・怜希投手(3年)に突撃した。岩手大会は7日に開幕。84年夏以来39年ぶりの甲子園出場を目指し、14日に初戦を迎える。

 海沿いの大船渡市に吹く爽やかな風。どこまでも青い空に、白い雲が浮かぶ。東北に到来した夏。校舎のすぐ脇のグラウンドで「主役」を待った。7限目の終わりを告げるチャイムが鳴ってしばらくすると、雲のように白いワイシャツを腕まくりした怜希が駆けてきた。肩にバッグをかけ、前髪はセンター分け。「チワッ!」とあいさつした後、ユニホームに着替えて登場した。

 1メートル78、72キロ。左手のグラブには「S・ROUKI」の刺しゅう。昨秋、本格的に投手に転向した際、自宅にあった兄のグラブを使い始めたという。兄も汗を流したブルペンに入った右腕。正直、今回はやりにくさを感じながらの突撃だった。

 審判員時代、初めて見る投手が苦手だった。未知のボールはミスジャッジの可能性を高めるからだ。当企画で初めてのドラフト候補ではない投手。ほとんどメディアに登場せず事前に映像も確認できないまま、少々「どんなものか」と上から目線で「プレー!」をかけた。

 左足を高くはね上げる兄とは違い、オーソドックスなフォーム。最速139キロという直球に「おや…」と感じた。予想を大きく上回る切れに、球速以上の強さがあり、スピンも利いている。2球目。より目を凝らすと、リリースでしっかりボールを「叩けている」ことに気づいた。まるでバドミントンのスマッシュ。審判1年目だった11年に阪神キャンプで見た藤川球児を思い出した。

 驚きは止まらなかった。物理的にはあり得ないが、スライダーは野球ゲーム「パワプロ」のように真横に曲がった。ゲーム上の最大値7から考えると「5」が妥当。「これはアレじゃないか」。沈まず横に大きく曲がるといえば「スイーパー」。「分かっていても打てない変化を投げたい」と同じ岩手出身のエンゼルス・大谷が得意とする球種を習得していた。逸材発掘。投球後、マウンドに駆け寄り「謝らないといけない。なめてました!」と正直に謝罪した。怜希は「声の迫力が凄かった。圧倒されました」と笑って許してくれた。

 自主練習が終わった午後8時、自転車を押して帰宅。街灯が少ない大船渡の町は真っ暗だ。福岡から上京して東京に染まった記者は足元がおぼつかなかったが、怜希は「ここにずっといるので」と迷いのない足取りだった。兄が大船渡のエースとして果たせなかった夢に向かう夏。「甲子園のマウンドで投げられるように頑張りたい」。岩手の夜空の星のように、怜希には目指すべき場所がはっきり光って見えていた。(柳内 遼平)

 ◇佐々木 怜希(ささき・れいき)2005年(平17)4月25日生まれ、岩手県陸前高田市出身の18歳。小3から猪川野球クラブで野球を始める。大船渡一中では軟式野球部に所属。大船渡では1年秋からベンチ入り。50メートル走6秒3。遠投100メートル。好きな選手はオリックス・山本。1メートル78、72キロ。右投げ右打ち。

 ≪課題は夏を投げ抜くスタミナ≫大船渡一中では仙台育英の左腕・仁田陽翔(3年)、花巻東の右腕・北條慎治(3年)とチームメートだった怜希は「小さい時から決めていた」と大船渡に進学。1年秋からベンチ入りし主に「1番・遊撃」で出場した。2年秋に強肩に目をつけ、投手転向を打診した新沼悠太監督は「将来的には150キロを狙える」とする。春季岩手県大会では二刀流の活躍で強豪・盛岡大付撃破に貢献し8強。課題は夏を投げ抜くスタミナで、体全体を使うためにステップ幅を増やして下半身主導のフォームに。兄・朗希が故障防止を理由に登板回避した決勝まで投げ抜く覚悟だ。

 【取材後記】≪3.11」に思いをはせてコール≫「東日本大震災が発生した11年3月11日、NPB審判員だった私は福岡にいた。雁の巣球場でのソフトバンク―広島の2軍戦で三塁塁審を担当。午後3時前、プレーとは関係ないタイミングで突然、観客が騒ぎ出した。そのざわめきは一塁側のソフトバンク、三塁側の広島ベンチにも伝染。グラウンドの選手に「東北が大変なことになっている」とベンチから伝える声もあった。

 20年にスポニチに転職し、取材を通して「3・11」を体感した。陸前高田市内の保育園で被災した怜希は多くを語らないが「自分の人生において一番大きい出来事だと思います」と言う。あの日から12年。立場は変わったが、大船渡の地でジャッジした一つ一つのコールに思いを込めた。(アマチュア野球担当・柳内 遼平)

 ◇柳内 遼平(やなぎうち・りょうへい)1990年(平2)9月20日生まれ、福岡県福津市出身の32歳。光陵(福岡)では外野手としてプレー。四国IL審判員を経て11~16年にNPB審判員。2軍戦では毎年100試合以上に出場、1軍初出場は15年9月28日のオリックス―楽天戦(京セラドーム)。16年限りで退職し、公務員を経て20年スポニチ入社。同年途中からアマチュア野球担当。

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