元番記者が門田さんを悼む 南海からオリックスへ…新天地へ向かう決意の姿が忘れられない

[ 2023年1月25日 04:50 ]

門田博光さん死去

88年、大阪球場の最終戦を終え、セレモニーで涙する門田博光
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 元南海ホークス担当で、スポーツニッポン新聞大阪本社・元編集局長の中根俊朗氏が門田博光さんを悼んだ。

 今はどんな生活をしているのだろう。ずいぶんお世話になったのに連絡も取らずに不義理をしていた。それだけに余計に気になっていた。それが……。こんな形で消息を知ることになるとは……。

 いろんな思い出があるが、一番は大阪球場を引き払った時のことだ。南海からオリックスへの移籍が決まった後、どんな去り方をするかを知りたかった。ファンには惜しまれたが、決して球団とは円満な去り方ではなかった。しかも、派手なことがとにかく嫌いな人だから、人知れず1人で現れて別れを告げると思っていた。

 しつこく粘りに粘って、ご本人からヒントをもらって球場前で張り込んだ。そこに現れたのは当時でも時代遅れだったカローラ。行きつけの焼き肉店の、ご主人のマイカーに乗り、2人でやって来た。

「なんや、おったんか。手伝えよ」

 球界を揺るがした移籍騒動の主はごくごく自然体で引っ越しを始めた。他の選手とは一線を画した1人のスペースに招き入れてくれると話し始めた。

 「ここでな、交代浴をしてたんだ。こっちには熱い湯、こっちは冷水。風呂の入り方でも考えた。どうすれば体に良いのかとね。他のやつらには迷惑をかけられん。自分のペースでやらせてもらったよ」「これやるよ。オールスターで使った靴や。持って帰れ。おまえには大きいやろけどな」「ここも最後やなあ。けど、なんか不思議とさっぱりしてる」

 いつになく饒舌(じょうぜつ)で思い出の品まで惜しげもなくプレゼントしてくれた。本当に優しくて気配りの人。おそらく、さっぱりしている、と自分に言い聞かせたかったんだと思う。ガラガラの大阪球場に来てくれるファンの方が本当に本当に大好きだった。そんな人の前でなんとか結果を残そうと考え、自分をいじめぬいた。そんな人だった。

 結局、カローラに積んだ荷物はわずかな身の回りのものだけだった。多くの思い出の品は処分することにした。南海ホークスと決別する、声援を送ってくれた人たちと別れ、オリックスという敵になるチームに身を置くさみしさと不安。思い出を残して新天地に向かう決意の姿が忘れられない。 

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2023年1月25日のニュース