門田さん 貫いた本塁打狙う独自の理論 「安打の延長が本塁打」の定説に「本塁打の当たり損ねが安打」

[ 2023年1月25日 04:50 ]

13年、通算本塁打数の歴代トップ3が登場し、記念撮影をする(左から)通算868本のソフトバンク・王貞治球団会長、通算657本の野村克也氏、通算567本の門田博光氏
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 74歳で死去した門田さんは、南海での88年に40歳で44本塁打、125打点の2冠に輝き「不惑」が流行語となるなど社会現象にもなった。44歳まで現役を続け、通算567本塁打のうち、133発を40代でマークした。

 長嶋茂雄氏は38歳、王貞治氏は40歳で引退した。門田さんは通常より100グラムほど重い1キロのバットで重量ボールを振り込むなど徹底的に体を鍛えた。筋肉が硬くなるなどとウエートトレーニングは敬遠されていた時代に、独自のメニューで筋肉を鍛えあげ、40歳を超えてもパワーを維持した。「安打の延長が本塁打」という打撃の定説に対しても「本塁打の当たり損ねが安打」と自らの美学にこだわり一発を狙い続けた。全盛期は全打席で場外本塁打を狙っていたという。アキレス腱断裂以降はDHで復活し、「本塁打なら走る必要がない」と哲学が揺らぐことはなかった。

 南海入団時に選手兼任監督を務めていた野村克也さんにはコンパクトな打撃を求められ、衝突した。だが後に、頑固なその本塁打へのこだわりに「あいつは最後の野球バカ」と評した。

 平成以降はベテランの強打者が次々と登場した。山崎武司氏は38歳だった07年に楽天で43本塁打をマークし、08年以降も13年に引退するまで計105本塁打を放った。広島と阪神で1766試合連続出場を果たした金本知憲氏は44歳まで現役を続けた。門田さんは、こうした選手の先駆けだった。

 しかし、引退後はプロ野球の指導者を務めることはなかった。独自の打撃理論やトレーニング法を後世に伝える場がなかったことが惜しまれる。

《門田さん記録アラカルト》

 ☆王、野村に次ぐ強打者 23年のプロ野球生活で2566安打を放ち567本塁打、1678打点をマークした。本塁打、打点は王貞治(巨)、野村克也(西)に次ぐ歴代3位で、安打も歴代4位だが、ドラフト制以降の入団選手では3部門とも最多記録。

 ☆不惑を超えても 40歳で迎えた88年に44本塁打、125打点で2冠王に輝きMVPを受賞。40歳シーズンでの本塁打王、打点王、MVPは現在でもプロ野球の最年長獲得記録となっている。また、同年の本塁打、打点は40代選手のシーズン最多記録として現在も破られていない。さらに、40歳以上での通算133本塁打、398打点もプロ野球記録で、44歳の引退まで衰えぬ打撃を披露し続けた。

 ☆最強の指名打者 79年にアキレス腱断裂の大ケガを負って以降は指名打者での出場が主となり、DHで歴代最多の370本塁打。

 ☆月間16発 81年7月に当時のプロ野球新記録となる月間16本塁打。13年8月にバレンティン(ヤ=18本塁打)に抜かれ現在は歴代2位だが、パでは現在も最多記録。

 ☆パのマルチ王 ゲーム複数本塁打を通算59度記録。王貞治(巨)の95度、田淵幸一(西)の60度に次ぐ歴代3位でパ最多。なお、最後にマークしたのは92年5月20日ロッテ戦で、当時の44歳2カ月はマルチ弾の最年長記録となっている。

 ☆ミスター級の開幕男 開幕戦での通算9本塁打は長嶋茂雄(巨)の10本に次ぐ史上2位で、こちらもパ最多記録。

 ☆184人斬り 山田久志(阪急)から最多の26本塁打、東尾修(西)からこれに次ぐ15本塁打を放つなど、当時の最多記録となる184人から本塁打を放った。

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