【阪神新人連載】伊藤将 全国で力の差痛感…10キロ体重増で球速&球質アップに

[ 2020年12月16日 11:00 ]

牙を研ぐルーキー2020 2位・伊藤将司投手(下)

17年、大学選手権の上武大戦で帽子を飛ばしながら力投する伊藤将
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 将司は進んだ国際武道大で大きな意識改革に踏み切った。

 高校球界の名門、横浜高では浅間大基(現日本ハム)らと同期で2年時からエースを任された一方、2度の甲子園出場で勝ったのは一度だけ。2年夏の3回戦では同じ2年生の前橋育成・高橋光成(現西武)に投げ負けるなど全国の舞台で力の差を痛感したことを糧にした。

 「根本的に全部を鍛えて、球速も上げたかった。体も大きく変えたかった」

 大学進学直後から肉体改造に励み、ウエートトレーニングでは200キログラムの負荷をかけたスクワット運動などで徹底的に下半身を強化。間食も増やすなど1日5食で当初72キロから約10キロの増量に成功した。

 「球速アップにもつながって、変化球の変化量がアップしたので、努力してきてよかった」

 2年春には主戦として6勝を挙げ、日米野球の大学日本代表に選出されるなど着実に力をつけた。3年春には千葉県大学リーグで最多勝を含む4冠。手応えは確かなものになった。2年連続で大学日本代表に選出され、台湾で開催されたユニバーシアードで優勝。救援と先発で1試合ずつ登板し、計6回1失点で貢献した。1学年上で同じ左腕の立命大・東克樹(現DeNA)とチームメートになり、チェンジアップの投げ方を教わった。

 「真っすぐを投げる時と同じように腕を振る感覚だと教えてもらった。自分のものにするまではいかなかったですけど、高いレベルの選手と一緒にやれたことで刺激になった」

 順調に成長を遂げ、プロも意識するようになった4年春にはリーグ戦直前に左肘痛を発症。2試合の救援登板に終わり、約2カ月も投げられない時期が続いた。「苦しかったし、悔しかった」。復帰した秋のリーグ戦では5試合で3勝。可能性を信じて指名を待ったドラフト会議で名前が呼ばれることはなかった。

 「けがで投げられなくて、それが影響していると思った。いろんなことを学んだ分、もう一度社会人で結果を出して、頑張ろうと切り替えた」

 再び悔しい思いを味わっても、心が折れることはなかった。JR東日本では築いてきた土台を生かし、2年連続で都市対抗出場に貢献。今秋ドラフトで待望の指名を受け、晴れて笑える日を迎えた。 (長谷川 凡記)

 ◆伊藤 将司(いとう・まさし)1996年(平8)5月8日生まれ、千葉県出身の24歳。横浜高では2年夏、3年春の甲子園出場。国際武道大では1年春から登板し、3年春にMVPに輝くなど千葉大学リーグ通算24勝。JR東日本では1年目から公式戦登板。1メートル78、85キロ。左投げ左打ち。

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