3年連続登板のエース復活 主将「小技にらしさ」 古豪・桐蔭、快勝発進

[ 2020年7月24日 22:45 ]

2020夏 高校野球和歌山大会 2回戦   桐蔭5―1熊野 ( 2020年7月24日    紀三井寺 )

<桐蔭・熊野>桐蔭6回裏、青木の右前打で二塁から向井が5点目の生還
Photo By スポニチ

 桐蔭(和歌山)の背番号1、左腕の坂口健心(3年)にとっては3年連続となる紀三井寺のマウンドだった。全国でも数少ない単一会場で夏の大会を開催する和歌山の球児にとっての「聖地」である。1年夏から経験してきた坂口にとっては最後の夏だった。

 「大会前の練習試合が本当に全然ダメだったので、何とか1人1人を丁寧に抑えていこうと思っていました」

 コロナウイルスの感染拡大で3月から長い活動休止期間があり、練習試合を再開したのは6月27日。昨年11月以来、実に7カ月ぶりの実戦だった。以後、大会まで5勝4敗だが、坂口は「僕が投げたのは4試合ほど。ほとんどが早い回で打ち込まれていました」。自分で「手投げ」の状態になっていると感じていた。「例年なら5月ぐらいに追い込み練習の疲れが出る。それが今ごろ出ているように思っていた」

 だから、何とか「1人1人」と謙虚になっての登板だった。登板中の2回表1死、突然の豪雨で中断。グラウンドに水が浮き、整備時間を合わせ実に1時間5分に及ぶ中断で再開となった。

 それでも集中力を切らさずに投げられたのは、1年当時からの経験、それに不調を自覚する謙虚さからだろうか。

 四球と自身の犠打野選から3回表に先取点を奪われたが、その後は7回まで散発4安打、1失点でまとめた。

 8、9回は同じく1年生から紀三井寺経験がある右腕・竹田健人(3年)が締めた。

 2年前、1年生の左右両腕を紀三井寺で投げさせた伊藤将監督(40)は今夏に大きな夢を描いていた。「投手2人は1年生からまとまっていて、彼らだけでなく走攻守に好選手がいた学年でした。甲子園の可能性もあると思っていました」

 ところが、思わぬ疫病禍で甲子園大会も地方大会も中止。旧制・和歌山中で、創部は1897(明治12)年。夏の大会(予選)には1915(大正4)年の第1回大会から一度も休まずに出場し続ける、全国の“皆勤15校”の1校だ。

 文武両道の進学校でもある。5月20日の中止発表の直後、監督は3年生9人(ほかに女子マネジャー1人)に問うた。

 「もう、甲子園への道はなくなった。和歌山の代替大会があったとしても期間は8月までずれ込むかもしれない。受験勉強に切り替える時期が遅れるかもしれないぞ。この時点で辞めると言っても何も言わない。どうするかは自分たちで決めてくれ」

 主将の向井周(3年)は「もちろんショックでした」と言う。「確かにモチベーションが下がる者もいた。それでも、全員が“最後までやる”で一致した」。部活動休止の自粛期間中も、それぞれが個人練習を続けた。

 「甲子園がなくなって目標は和歌山ナンバー1になりました。でも、僕はそれ以上に桐蔭らしさを出して、最後の夏を終えたいと思っています」

 向井が言う「らしさ」が出たのは5回裏だった。無死二、三塁から遊ゴロで勝ち越し点をあげ、なお1死三塁。松田渉吾(2年)が冷静に一塁前にバントを転がし、セーフティースクイズを成功させた。「普段からよく練習してきたことを出せたと思います」

 監督が「相手投手は外角球が多い。センターから反対方向へ」と指示した通り、すべて単打の9安打中7本を中堅から反対方向へ放った。大きな投球フォームを突いての3盗塁にも「らしさ」が出ていた。

 今の3年生は1、2年とも夏は8強。坂口は「目標はもちろん優勝、トップになること」と頼もしかった。(内田 雅也)

続きを表示

この記事のフォト

2020年7月24日のニュース