原監督 悲痛「父は今、一生懸命闘っている状況です」

[ 2014年5月6日 05:30 ]

<中・巨>6勝目を挙げた菅野(右端)は川相監督代行(右から2人目)らに迎えられる
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セ・リーグ 巨人3―2中日

(5月5日 ナゴヤD)
 巨人の原監督は午前10時名古屋発の新幹線で緊急帰京し、正午すぎに貢氏が入院する神奈川県内の病院に到着。妹の詠美さんらと医師の説明を聞き「いつ何が起きてもおかしくない状態」と言われたという。

 投薬により眠っている父は、約3時間の面会中に目を覚ますことはなかった。都内の自宅に戻り、その車中では菅野の投球を見届けた。球団を通して「父は今、一生懸命闘っている状況です。今は見守るしかありません」とコメントした。

 前日に一報を受けた指揮官はこの日、名古屋市内にある宿舎の朝食会場で川相ヘッドコーチに状況を説明。スタメンなどを伝え、原沢敦球団代表兼GMには「心筋梗塞と大動脈解離を併発している」と病状を報告した。重篤な状態を心配する原沢代表に強く促されて帰京を決意。川相ヘッドに指揮を託し、監督通算11年、1465試合目で初めてチームを離れた。

 貢氏は65年夏の甲子園で当時無名の三池工を率いて初出場初優勝。70年夏は東海大相模で再び全国制覇した。2県で甲子園優勝監督は、いまだ貢氏だけである。長男の原監督とは東海大相模で春夏4度甲子園に出場。他の部員以上に厳しく接し、何度も鉄拳を浴びせた。77年の東海大進学に合わせて同大の監督に就任。「父子鷹」の厳しい指導はプロ入りまで続いたが、自宅では優しい父親の一面も見せていた。

 プロ入り後も常に良き相談役としてサポート。孫の菅野に対しても同様で、日本ハムが交渉権を獲得した11年ドラフト後に浪人を決断すると、バッシングに対して矢面に立った。翌12年ドラフトで巨人に入団した際、原監督とともに戦うことを誰より喜んだ。昨年1月に都内のホテルで開いた77歳の喜寿を祝う会では大宴会場に入りきらないほど教え子が殺到。「凄かった」と笑顔で話し、最近も「腰が良くなってドライバーが飛ぶようになった」と元気だった。

 原監督は「決して簡単な症状ではないだろう。でも親父は一生懸命闘っていると思うから、俺も一生懸命戦う」と気丈に振る舞っているという。6日に東京ドームで行われるDeNA戦は指揮を執る予定だ。

 ◆原 貢(はら・みつぐ)1935年(昭10)3月30日、佐賀県生まれの79歳。東洋高圧大牟田に在籍中の65年、三池工(福岡)を率いて夏の甲子園で初出場初優勝。翌66年、東海大相模(神奈川)の監督に就任し、70年夏に全国制覇。長男・辰徳(現巨人監督)との父子鷹で4度甲子園に出場した後、東海大監督、東海大相模監督などを歴任。96年に2度目となった東海大監督を勇退し、現在は東海大系列校野球部総監督を務める。孫は菅野智之(巨人)。

 ▽心筋梗塞 心臓に酸素と栄養を送る血管(冠動脈)が詰まったり狭くなったりして、心臓の筋肉(心筋)の機能が低下する虚血性心疾患の一つ。一般的に急に起こる急性心筋梗塞のことを指す。休むことなく全身に血液を送るポンプの役割を果たしている心筋は大量の酸素と栄養を必要とする。それらを供給するのが心臓に張り巡らされた冠動脈。この動脈が詰まると酸素と栄養が届かない心臓の細胞、筋肉が死ぬ壊死(えし)状態が進行し、最終的には心臓が止まってしまう。

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