斉藤コーチが見いだした古谷の適性「先発だと力まない」

[ 2013年6月27日 06:00 ]

<オ・ロ>1安打完封勝利をあげた古谷を伊東監督(右)と迎える斉藤コーチ

プロ野球 パ・リーグ ロッテ7-0オリックス

(6月26日 京セラD)
 三十路(みそじ)を過ぎた、遅れてやってきたシンデレラボーイ。誰もがロッテ・古谷の快投に驚いた。そして誰もが、自分のことのように喜んだ。

 斉藤明雄氏(ロッテ投手コーチ)「短いイニングだと古谷は力んでしまう。先発して、長く投げた方が力が入らないと思ったんだ。球速はないけど、カットボールとか球種は多い。先発でもやれるな、とね」

 転機はプロ7年目を終えた昨年の秋季キャンプ。新任の斉藤コーチは、31歳の左腕に声を掛けた。「おまえ、先発やってみるか?」――。リーグ優勝した10年には、58試合の登板全てが中継ぎだった。適性と可能性。先発左腕が不足しているチーム事情もあった。そこから頭を動かさず、軸がぶれないよう下半身を使ったフォームに修正。賭けは、吉と出た。

 太田誠氏(当時の駒大監督)「上からはもちろん、横からも投げさせたり…。彼の特徴を出させるようにね。古谷は、歯を食いしばってやっていた。ぼくとつで真面目な投手だった」

 駒大では通算20試合。手にした白星は1勝(7敗)だけに終わった。それでも野球を続けた。前だけを向いた。そしてプロの世界で7年ぶりの先発登板。恩師はテレビの前で観戦し、「良くやった」と祝福した。

 神長英一氏(当時の日本通運監督、現法大監督)「社会人時代はエースではなかった。それでもチームに残ってもらいたかったが、彼の熱意に負けてプロに送り出した。その時の選択が間違いではなかったことを、証明してくれた」

 雑草だった。エリートとはほど遠い野球人生だった。古谷の入団2年目のオフ、07年12月に神長氏は札幌での教え子の結婚式に日帰りで出席。その時の、真っ白な光景が忘れられない。「雪の中、行きましたからね…」。雪が解ければ、そこには青々とした芽が生えている。31歳。コツコツと努力を重ねれば、いつか必ず、花は開く。

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2013年6月27日のニュース