“女イチロー”山田恵里さん 指導者でも世界イチへ!米国で描く金の夢 ミシシッピ大の育成担当D

[ 2025年12月3日 05:30 ]

ミシシッピ大ソフトボール部の練習に参加する山田恵里(Ole Miss提供)
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 「女イチロー」と呼ばれたソフトボール東京五輪金メダリストの山田恵里さん(41)は今、日本から約1万キロ離れた米ミシシッピ州にいる。南部の名門ミシシッピ大学で9月末から育成担当ディレクターに就任したばかり。2日までに本紙の単独インタビューに応じ、異例の挑戦の理由を明かした。希代のトップバッターの思いとは――。(中村 文香)

 新天地として選んだのは、現役時代の最大のライバルだった米国だった。仕事が決まっていない段階で移住を決めた山田さんに、ミシシッピ大からSNSを通じてオファーが届いたのだという。2度の金メダルに輝いたトップアスリートにとって、プロセスを含め異例の挑戦だ。

 「漠然とはしていたけど、元々海外に行きたい気持ちがあった。日本ではありがたいことに、実業団でずっと守られていた世界でプレーしてきたので、もっと自分の可能性に挑戦するとか、視野を広げたいという思いがあった」

 中学時代の野球部では男子部員をおしのけ1番・外野手。08年北京五輪、21年東京五輪で主将として日本を金メダルへと導き、女イチローの異名を取ったレジェンドだ。22年9月に現役引退を発表し、進んだのが指導者の道だった。代表コーチを務めながら、24年4月には筑波大大学院に進学。競技漬けの現役時代にはなかった自由な時間を過ごし、心の奥底にあった海外への思いが明確になった。

 「現役時代に米プロリーグ(13年シカゴ、15年テキサス)に行って価値観が変わった。ソフトボールをもっと楽しくやっていいんだと思えたし、選手たちのレベルも高かった。自分がここに来ることで何が変わるかは分からないけど、日本の選手たちに視野を広げてほしい。例えば今の高校生が米国の大学でプレーしたり、そういう選択肢を増やしたい」

 現在所属するミシシッピ大はNCAAのディビジョン1に加盟する強豪。育成担当ディレクターとして、選手たちに実際のプレーを見せて手本を示す役割を担う。早朝5時30分から5キロのランニングをこなし、午前8時から正午までグラウンドで全体練習に参加。午後は大学のオフィスで守備や打撃の教材作成に励む。新居に引っ越したばかりで自炊も満足にできていないと笑うが、充実の日々を過ごしている。その先に見据えるのは、指導者としての世界一だ。

 「今まで選手として金メダルを獲りましたけど、伝える立場になって金メダルを獲れたら凄くうれしい。それが日本なのか、どこかの国なのかは分からないけど、指導者として一番になってみたい」

 もちろん、23年から今年7月までコーチを務めた日本代表のことも頭にある。8月のワールドゲームズ(中国)は3位。主要国際大会で決勝を逃したのは銅メダルだった04年アテネ五輪以来だ。だからこそ伸びしろを感じるという。28年にはロサンゼルス五輪でソフトボールが復活し、連覇が懸かる戦いが待ち受ける。「求められれば」と、コーチとして3度目の金メダルを目指す可能性もある。

 「今回のワールドゲームズは3位だったからこそ、いろいろなものを変えていけるタイミングなのかな。今の代表は国際経験が少ない選手も多いので、経験を積めばもっと世界が見えてくる。伸びしろは無限大だと感じている」

 あえて日本を飛び出し、米国で指導者の道を極めんとする41歳は言う。「人と同じことはしたくない。自分のやっていることが、誰かの力になればうれしい」。引退しても、日本のトップバッターであり続ける姿勢は変わらない。山田さんが新たに切り開く道と、日の丸を背負う道が交わる時が来るかもしれない。

 ◇山田 恵里(やまだ・えり)1984年(昭59)3月8日生まれ、神奈川県藤沢市出身の41歳。御所見中―厚木商―日立―デンソー。中学時代は男子の野球部に所属し1番・外野手として活躍。厚木商からソフトボールを始めた。日本リーグでは首位打者5回、打点王1回、本塁打王1回、ベストナイン14回。五輪は04年アテネで銅、08年北京と21年東京で金メダル。左投げ左打ち。1メートル65。

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