増位山死去…角界初の親子大関 歌手でミリオンヒット、画家では二科展入選

[ 2025年6月18日 05:00 ]

75年、気合いの表情を見せる増位山
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 大相撲の元大関2代目増位山の沢田昇(さわだ・のぼる)さんが15日午後2時38分、肝不全のため死去した。76歳。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。左右の内掛けなど多彩な技を駆使し、31歳だった80年初場所後に大関に昇進し史上初の親子大関となった。美声の持ち主で現役時代に出した「そんな夕子にほれました」がミリオンヒットした。協会退職後は本格的に歌手として活動したが、22年12月に敗血症と診断され、療養していた。 

 相撲界を離れ、歌手活動に励んでいた増位山さんが体調不良を訴えたのは22年の12月だった。「敗血症」と診断されたため活動を休止。2~3カ月の入院生活では手術も受け、治療に専念していたという。

 関係者によると増位山さんは静岡県函南町に生活の拠点を移し、施設での療養生活で歌手復帰を目指した。だが数日前に体調が急変して再入院、最期は家族がみとったという。所属事務所の関係者は「今月に入って“また会いに行きますね”と連絡すると、“待ってるね”と明るく話していた。会いに行くと“新曲できた?”と言って歌うことを楽しみにしていた。復帰を目指していたので、まさかこんなに早く…という思いです」と無念そうに話した。

 2度の優勝など昭和初期の名大関として活躍した初代増位山の長男として生まれ、日大一高では水泳選手として活躍。卒業直前に力士を志願し、父の反対を押し切って父が師匠を務める三保ケ関部屋に入門した。67年初場所で初土俵、同部屋同期には北の湖がいた。大関には70年春場所の新入幕から52場所(当時の最長記録)を要して80年春場所に昇進。初の「親子大関」として騒がれた。大関在位は7場所と短かったが、手を伸ばして相手の出足を止める独特の立ち合いや、柔軟な足腰を生かした右上手投げ、内掛けや外掛けなど名人芸の切れ味で、横綱・輪島、北の湖による「輪湖時代」を彩った。81年春場所で引退し84年に三保ケ関部屋を継承。師匠としては学生出身の肥後ノ海(現木瀬親方)浜ノ嶋(現尾上親方)ら幕内力士を育てた。

 土俵以外でも多芸多才ぶりを発揮。現役時代の72年に歌手デビューを果たすと74年に「そんな夕子にほれました」、77年に「そんな女のひとりごと」のミリオンセラーを出した。また画家としても二科展入選の常連だった。13年11年に日本相撲協会を定年退職。本格的に歌手活動を開始し、墨田区内に「ちゃんこ増位山」(現在は閉店)をオープンさせていた。

 ≪弟子・木瀬親方悲しみ「早いです」≫弟子の木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)は15日に兄弟子の若者頭・虎伏山から訃報を聞いた。「体調管理には気をつけていた人なので…。早いですね」。92年に同じ熊本県出身で日大でも同期だった浜ノ嶋(元小結、現尾上親方)とともにスカウトされ三保ケ関部屋からデビューしたが「現役時代を見たことなかった。第一印象は“歌手・増位山”の印象だった」と述懐する。稽古場では怒られたことも、うるさく指導されたこともなく、自由にやらせてもらい、部屋旅行などでは関取として特別扱いして接してくれたという。「自分や浜ノ嶋のような、どうしようもない2人を師匠にしてくれた」と感謝の思いを口にした。

 ◇増位山 太志郎(ますいやま・だいしろう、本名沢田昇=さわだ・のぼる)1948年(昭23)11月16日生まれ、兵庫県姫路市出身。父の元大関・初代増位山が師匠を務める三保ケ関部屋に入門し、67年初場所で初土俵。70年春場所で新入幕。80年初場所後に大関昇進し、史上初の親子大関となる。81年春場所で現役を引退。技能賞5回。金星4個、大関在位は7場所。84年11月に三保ケ関部屋を継承。13年秋場所限りで部屋を閉じ、日本相撲協会を定年退職した。

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