再び「一つの国」になることを夢見て “小さな巨人”デクラークがW杯に懸ける思い

[ 2023年9月15日 07:53 ]

南アフリカのSHファフ・デクラーク(AP)
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 前回大会王者の南アフリカが、連覇へ上々の滑り出しを見せた。W杯初戦の相手はスコットランド。スコア上は18―3、特に前半は6―3と突き放せなかったが、後半に2トライを奪い、守っては相手をPG1本に抑える80分間の戦いぶりは危なげなかった。振り返れば4年前の準々決勝、日本は3―26で敗れたが、前半は3―5と粘った。しかしスコアに表れない実力の差に絶望感を覚えた40分間でもあった。

 大会登録選手全33人がリーグワンに所属する日本を除き、14人が現在、あるいはかつてリーグワンやトップリーグでプレーした選手で構成されるスプリングボクスは、にわかファンにとっても馴染みやすいチームではないだろうか。その筆頭格が“小さな巨人”ことSHファフ・デクラーク。昨季横浜に加入し、大会後も日本に戻ってプレーする金髪の小兵は、今大会も押しも押されもせぬ主戦ゲームメーカーだ。

 少々古い取材録で恐縮だが、昨年12月、デクラークを単独インタビューした際、語っていたW杯や国への思いが忘れられない。

 「優勝はいろんな人種、文化の人間が一つになった。ぶつかり合ってきた歴史もあるが、優勝して全員が一つになった。1週間くらいはね」

 19年は日本から凱旋したヨハネスブルクの空港では数千人のファンの出迎えを受け、その後は5日間にわたって各地で優勝パレードを実施。まさしく3度目の栄冠で国が一つになったことを肌で感じたデクラークだが、「1週間くらい」との言葉に、とてつもなく大きな含みを感じた。声のトーンも、その表情も、どこか寂しげであったことを思い出す。

 かつては人種隔離政策に対する制裁により、スポーツ界でも国際舞台から排除されていた南アフリカ。W杯初出場は自国開催だった1995年の第3回大会で、見事に優勝を果たした経緯は映画「インビクタス 負けざる者たち」で描かれている通りだ。しかし開幕時、大会登録メンバー26人中、非白人系の選手はゼロ。大会中にアフリカ系のチェスター・ウィリアムズが追加招集され、その活躍は大会を象徴するものとなった。

 今大会のスプリングボクスは33人中、非白人系の選手が14人(開幕時)で、19年の11人から3人増え、割合も50%に近づいた。南ア協会が発表している戦略的移行計画では、2030年までに非白人系選手の割合を60%まで増やす目標を打ち出しているが、法的な強制力はない。それでも近年でも時折、代表に非白人系の選手の割合が少ないと、賛否両論が湧き上がる。本来であれば人種、民族、文化的背景に関係なく選手選考がなされるべきだが、歴史的な背景が、それを許さない。

 「ONE TEAM, ONE COUNTRY」の大会スローガンの下で開催され、マンデラ大統領からピナール主将にウェブ・エリス・カップが手渡された1995年のW杯当時は、まだ3歳。「記憶にない」というデクラークだが、4年前に空港やパレードのバス隊列から見たシーンに、憧憬を抱いているのだ。例え連覇を果たしても、国が抱える全ての問題が解消されるわけではないことは、重々承知しているはず。それでもスポーツの力を課題解決のための小さな一歩にしようと、自身2度目の大舞台に身を投じている。

 ド派手なフラッグカラーのビキニ姿で、カップになみなみとつがれたシャンパンを飲むことを夢見て。国が一つになり、今度は1週間とは言わず、より長く続くことを夢見て。(記者コラム・阿部 令)

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