追悼連載~「コービー激動の41年」その63 記録と勝利を呼んだ「HOT HAND」

[ 2020年4月19日 09:30 ]

2006年のラプターズ戦で81得点をマークした故ブライアント氏(AP)
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 ウォリアーズのウィルト・チェンバレンがニックス戦で達成した1試合100得点はNBA歴代1位の大記録ではあるが、シーズン終盤の消化試合で達成したものであり、しかも最後は両チームがタイムを止めるためにファウルゲームを繰り返していたという特異な試合展開だった。チェンバレン本人も100得点が近づくにつれ、すべてが自分中心にゲームが動いたために「恥ずかしかった」と語ったほど。だからこれはNBAの史上に残る快挙ではあるものの、ある意味「作られた記録」だった。

 それに対して2006年1月22日のラプターズ戦で歴代2位の81得点をマークしたコービー・ブライアントは、少なくともラストの2分をのぞいて「勝ちにいった結果」としてついてきた記録だった。だからチェンバレンの記録とは性質が違う。当時ラプターズの監督だったサム・ミッチェルは「あのとき、我々は第4クオーターで勝とうとしていた。もしうちが勝っていればあの日の見方も変わったことだろう」と語っている。そう対戦した相手の指揮官が最後まで勝つことをあきらめなかったからこの記録には付加価値がある。スポーツの精神とあるべき理想像からすれば、記録としての価値はブライアントの方が上回っていたと思う。

 では14年前に1万8997人のファンが熱狂した劇的な一戦を振り返ってみよう。場所はレイカーズの本拠地、ロサンゼルスのステイプルズセンターだった。この試合の前までレイカーズは21勝19敗で連敗中。ラプターズは14勝26敗で、ともにまだシーズンの“中間点”に達してはいなかった。だからプレーオフ進出を視野に入れながらの試合。当然、記録など作ろうと思える状況ではなかった。

 前半で主導権を握ったのはラプターズ。前半を63―49で折り返し、第3クオーターの2分28秒には18点差にリードを広げていた。ブライアントは前半で26得点を挙げていたもののチームには勢いがなく、フィル・ジャクソン監督は「誰かが“HOT・HAND”にならなければならなかった」と流れを変える「燃えるような手」を持った選手を求めた。そしてその期待に応えたのがブライアントだった。

 ラプターズ戦の相性が良かったわけではない。その1カ月前となる2005年12月7日のラプターズ戦(トロント)ではこのシーズンで最少の11得点に終わっていた。その試合の雪辱を果たそうと思ったのかどうかはわからない。しかしこの日の試合の後半、ブライアントの「燃えた手」を冷ますことができたラプターズの選手は1人もいなかった。

 レイカーズは第3クオーターを42―22として形勢逆転。チームの42点中27点がブライアントによるものだった。その第3クオーターを1点上回る28得点をたたきだした最終の第4クオーターは圧巻。残り4分52秒にこの日7本目の3点シュート(試投13本)を決めたところで72得点目となり、マイケル・ジョーダンの最多記録(1990年3月28日=対キャバリアーズ戦の69得点、歴代12位)とそれまでエルジン・ベイラーが保持していたレイカーズのチーム最多記録(1960年11月15日=ニックス戦の71得点、歴代8位)を同時に抜いた。

 そして残り1分47秒、3点シュートを試みた際にもらった反則による3本のフリースローをすべて成功させて79得点。この時点でチェンバレンが“ガチ”の試合でマークしていた自身2番目の記録(1961年12月8日=対レイカーズの78得点)をも超えていった。スコアはレイカーズが120―102と18点をリード。普通ならベンチに下がってしかるべきの時間と点差だが、ジャクソン監督は「本当はチームを勝たせようとするときのやり方じゃないんだが…」と迷いながらもブライアントをコート上に立たせた。それはチェンバレン以外、誰も足を踏み入れたことのない「80得点」の世界に、ブライアントを送り込むためだったのだろう。だからしいて言えば、ここからのわずかな時間だけが“記録のための”作為的な部分だった。

 残り43・4秒、ブライアントは再びフリースローを2本決めて81得点。残り4・2秒でようやくベンチに下がるとファンは総立ちとなり、ブライアントはジャクソン監督と軽くハグをかわした。

 試合後の表情は印象的だった。81得点を記録したのにブライアントはまったく笑顔を見せなかった。ファンの声援に応えるポーズもなければ、他の選手と飛び上がってバンプするような場面もなかった。実は視点をラプターズ側に持っていくと、このクールな態度こそ歴代2位の大記録を樹立した要因だった。(敬称略・続く)

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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