プロ生活11年目の木下裕太 念願のツアー初優勝「勝ったのかな…」

[ 2018年10月29日 00:21 ]

マイナビABCチャンピオンシップ最終日 ( 2018年10月28日    兵庫県加東市 ABCゴルフ倶楽部 7217ヤード、パー72 )

初優勝した木下はカップを手に笑顔(撮影・井垣 忠夫)
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 プロ生活11年目の木下裕太(32=フリー)が通算15アンダーで並んだ川村昌弘(25=antenna)とのプレーオフを1ホール目で制し、念願のツアー初優勝を果たした。川村が先にバーディーを奪った直後、4メートルのイーグルパットを沈める劇的な勝利だった。川村は前週のブリヂストンオープンに続く2位。賞金王レースのトップを走る今平周吾(26=フリー)は通算10アンダーの4位に入り、賞金ランク2位との差を約4000万円に広げた。

 ウイニングパットがカップに消えた瞬間、木下は頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。再び立ち上がり、敗れた川村に促されて右手を高々と挙げたその時、勝者の目には涙が浮かんでいた。



 ――優勝の瞬間は何を思いましたか。

 木下 ホントに何ていうか無我夢中で…入ったあ!ぐらいしか思ってないです。勝ったのかな……。いや、自分でも何ていったらいいのか、わかんないですけど。

 ――ウイニングパットはどのような。

 木下 4メートルくらいですか。ラインは迷ったんですけど、真っ直ぐ打ちました。その通りに転がってくれたので、これ(1メートル)くらい手前からラインに乗ってたので凄いスローモーションに感じましたね。お願い、お願い、そのままって感じでした。カップに消えていくのは見せました。ハッキリ。これで終わったのか。力が抜けました。

 ――朝スタートしてからさまざまなドラマがありました。レギュラーの18番ホールでの心境は。

 木下 ティーショットはまず先に完ぺきに打たれたので。こちらは疲れていたのか(左に)ミスして出すしかなかったので、まあ、打つ前から絶対に(相手は)先週も優勝争いをして、勝負どころを知っている。下手したらイーグルを取られると思ったので、パーで良しなんて逃げてる場合じゃないなと。ちょっとギリギリの番手で3打目は攻めました。132か133ヤード。アゲインストなんで8番アイアンを持とうかと思ったんですけど、逃げちゃダメだなと思って9番で。

 ――レギュラーの18番では1・5メートルのウイニングパットを外しました。プレーオフのウイニングパットと気持ちの持ちようは違いましたか。

 木下 違いますね。最初の方は欲が出たというか、早く楽になりたいというか、腹をくくらずに、入ってくれってお願いしちゃったというか、だからそこは下手でしたね。自分が思った通りに打って外れたなら納得いったんですけど、ちょっと緩んで押し出してしまったので。

 ――これまで後ろ向きの発言を繰り返していました。緊張して手が動かなくなるというようなことはありましたか。

 木下 そういうことはないんですよね。震えながらでも動くのは動くので。

 ――震えていたのですか。

 木下 全然、ずっと震えていました。ショットも。ただ、昔からそういう時、いいショットが打てるので。自分の何か、特性かなっていうのは。それぐらい追い込まれないと、ゴルフが下手みたいで。

 ――スタートの1番でもお先のパーパットでドラマがありました。30センチのパットがカップを1周して一旦、カップの縁に止まりましたが、コトンと落ちた。

 木下 あれはしっかりちゃんと。適当にやったわけじゃなくて。ちょっと凹んでいたのか、打った瞬間に変な動きをして。頼むと思いました。ボールが揺れてたんで。そこから怖いからずっとマークしました。

 ――ボールがカップに落ちた瞬間は。

 木下 はあって感じでした。朝から終わってしまうところでしたから。

 ――お父さんも観戦されてました。

 木下 去年辺りからボクがトーナメントに出だして凄い楽しみにしてたみたいなので。趣味がない人なんで親孝行できてるかなと。父がゴルフをやってたのはボクが中学校くらいまでですかね。自分のゴルフよりボクとお姉ちゃんに教える方が楽しくなっちゃったみたいで。ハンデはシングルくらいでした。普通にパープレーくらいで回ってる印象があります。

 ――この優勝は自信になりましたか。

 木下 自信にはなりましたけど、また、これをやれと言われたらできる自信はありませんね。運が良かった部分もたくさんあるんで初日、2日目は。最終日の上がり9ホールは凄くいいゴルフができたなっていう自信にはなりました。最後自滅したらダサいじゃないですか。アイツ、メンタル弱いじゃないかって思われるんで。しっかり踏ん張ることができたんで、成長できたかなと。

 ――川村選手のプレッシャーは。

 木下 尋常じゃなかったですね。自分が(14番で)ボギーを叩いてスキを与えてしまったので。上がり4ホールで2アンダーで負けたらしょうがないと思ってたんですよ。ロングホールが2つあったので。

 ――一番のピンチは。

 木下 15番と18番ですかね。15番のセカンドを完ぺきに付けられたのと18番で先にイーグルチャンスに付けられた時の絶望感は、来ると思ってても逃げたくなる気持ちだったんですけど、勝負と思って。

 ――そんな中でも神懸かったショットがいくつかありました。

 木下 神懸かってましたね。ゾーンに入ってました。自分のゴルフを分析すると、集中した時は凄くうまいんですけど、気が抜けた時の下手さは尋常じゃないんですよ。ちゃんとはやってるんですよ。でも曲がるし、飛ばないし。普通に76とか77とか打ちます。

 ――追い込まれると力を発揮するという話がありました。7年連続でツアー予選会を失敗していた頃、その追い込まれた状況はなかったのですか。

 木下 追い込まれる種類が違ってました。追い込まれるというより心が折れてました。(低迷期が)長く続いたので試合にいってもまた赤字かと思っちゃったらゴルフにも集中できなくて。それならばちゃんとやってる人に失礼だから行かない方がいいのかなと思うんですけど、一応、可能性があるから行って、ダメでふてくされるというのを繰り返してたらホントやってていいんだろうかって。仕事として成り立ってなかったので。

 ――ゴルフを止めなかった理由は。

 木下 ギリギリチャレンジツアーには出られたからです。一応はプロかなと。だからそこに出れなくなったらやりたくても気持ちがもう無理だろうなと思ってたんで。1年間、何もないとなると。金銭面よりも仕事としてプロゴルファーと言えないのが辛かったですね。稼いでもないのに、赤字のくせに何がプロゴルファーじゃというのが強くて。

 ――立ち直ったきっかけは。

 木下 ファイナルQT(ツアー予選会)で7回目の挑戦で、そこでずっと失敗してたので、35位以内ってはっきり目標を決めて、ダメだったら来年はチャレンジにも出ない、止めるというのを自分の中で決めたら、震えながらやるので、そこで初めて、7回目で成功して、腹をくくったというか、それが一昨年のことでした。



 学生時代の木下はナショナルチームにも選出された有望株。が、07年のプロ転向以降は鳴かず飛ばず。08年から7年連続でツアー予選会に失敗し、8歳の時から同じ練習場で切磋琢磨してきた1歳年上の同じ「ユウタ」池田はいつの間にか雲の上の人になっていた。

 遠征費をさっ引けば赤字続き。スポンサーからの資金援助も終わり、家族に借金して「これでダメなら」と腹をくくったのが木下の言う2年前。その資金も尽きようとする中、震える手を抑えながら昨年のツアー予選会を初めて突破。7位に入った9月のISPSハンダマッチプレー選手権で750万円を獲得するなど初の賞金シードも手中にしたが「職業、プロゴルファー」と胸を張るにはこの1勝がどうしても必要だった。

 賞金シード確定後の目標、日本シリーズ出場も現実に。「池田さんと最終日最終組で」次なる目方は怖い兄貴分を下しての2勝目。夢は膨らむ。

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2018年10月28日のニュース