脇本雄太 スタミナは亡き母譲り リオで「世界一」約束果たす

[ 2016年5月25日 10:27 ]

脇本の太ももは63センチ

「カウントダウンリオ」自転車男子ケイリン、脇本雄太

 自転車の男子ケイリンで初めて五輪に出場する脇本雄太(27=日本競輪選手会)が、必殺のロングスパートで金メダルを狙う。常識外れの早仕掛けで早々に先頭を奪い、ゴールまで粘り抜くスタイルは、たとえ夢舞台でも不変。女手一つで育ててくれた母・幸子さん(享年51)の願いだった「世界一」を実現するため、渾身(こんしん)の力でペダルを踏む。

 脇本は中学時代、スポーツには縁がなく科学部。「学校の中庭にいる生き物を観察したり、実験をしたりしていた」。福井・科学技術高で友人に誘われて自転車競技部に入部したが、「街中をサイクリングする部だと思っていた」と振り返る。才能はすぐに開花し、2年時の国体・少年1キロタイムトライアルで全国制覇。母は言った。「日本一になったら、次は世界一になりなさい」と。

 裕福な暮らしではなかった。だが、母は総額約30万円の自転車も買ってくれた。「子供のことを最優先に考えてくれる人だった」。プロの競輪選手になって金を稼ぎ、ケイリンで五輪に出て金を狙う。全ては母のため。日本競輪学校に入る前、脇本は面接で言い切った。「競輪選手になるのは、五輪に出るためです」。二兎(にと)を追う生活が、08年に始まった。

 日本の「競輪」と五輪の「ケイリン」は似て非なるものだ。競輪は鉄のフレームの自転車を使用するが、ケイリンではカーボンフレーム。「乗っている質感が全然、違う」。会場も競輪では1周400メートルや333メートルが主流だが、ケイリンは1周250メートルで行われ、走路の材質も異なる。「体のバランスがうまくいかないし、両立は難しい。分かっている上でやっているんで仕方がない」。夢を実現するため、どんな環境も受け入れた。

 12年ロンドン五輪出場を目指して汗を流す脇本を悲劇が襲う。11年7月、幸子さんが肝臓がんで亡くなった。51歳だった。「五輪の舞台を見せたいという目標がなくなってしまった」。ロンドンの出場権は得られなかった。失意のまま、テレビで見た夢舞台が脇本のハートに火を付ける。「リオに母を連れて行く」。目標は決まった。

 14年のアジア選手権を制し、3月の世界選手権5位でリオ切符を手繰り寄せた。本番は8月16日。「日本と同じ戦法を取って世界で勝ちたい」と言う脇本は、「無難に攻めるよりも、思い切っていった方がいい結果につながる。イチかバチかかもしれないけど、それくらいしないと勝てない」と闘志を高めた。残り2周半、先頭誘導車が離脱すると流れは一変。天国の母に優しく背中を押された脇本が、一気に仕掛ける。開けた視界には、黄金の道筋がはっきり映っている。

 ◆脇本 雄太(わきもと・ゆうた)1989年(平元)3月21日生まれ、福井県出身の27歳。科学技術高卒業後、日本競輪学校に94期生として入学。08年7月、福井競輪でプロデビューを果たした。S級1班。自転車競技のケイリンでは14年アジア選手権優勝、今年の世界選手権で5位。1メートル81、86キロ。太腿回りは63センチ。

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