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中田英寿は孤立していたのか 直前に“言い争い”不仲と報じられた元日本代表が06年W杯の舞台裏を語る

[ 2024年4月9日 07:00 ]

<2006年サッカーW杯ドイツ大会・日本・ブラジル>ブラジルに完敗し、試合終了と同時にピッチに倒れこんだ日本代表MF中田英寿
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 元サッカー日本代表の福西崇史氏(47)が、9日までに元代表でタレントの前園真聖(50)のYouTubeチャンネル「おじさんだけど、遊んでもいいですか?」に出演。2006年ドイツW杯時代の思い出を吐露した。

 躍進が期待された06年だったが、日本は予選リーグ1分け2敗で敗退が決まった。チームの中心は中田英寿。不協和音があったとの報道もあった。福西氏は「メディアは書きますよね」と苦笑いし、「ヒデとケンカと書かれたのもそれです」と振り返った。

 それはW杯の前年だった05年のこと。「僕はヒデと言い合いしたんですよ。イラン戦の前」。ポジショニングの問題についてチーム内で議論していたが、激しい口調だったせいか「すげえ、ヒデと言い合っている」と周囲に勘違いされ、「不協和音」などと広まった。守備側の意見、攻撃側の意見。もちろん同じではなく、ただ単に意見をぶつけ合っていることが「不協和音」となってしまったという。

 その後、3バックに戻すなど、選手主導でとことんまで話し合いチーム改革。しかし、W杯では結果が出なかった。中田はブラジル戦後に仰向けに寝転び、悔しがった。そしてW杯後に引退を表明するが、福西氏は「何してんだと思った」と当時は中田の引退のことは知らなかったと明かす。前園は「前日に聞いた」というが、福西氏は「僕らは知らない。あの中で知っていたのは誰だろう?選手は知らない。ジーコも知っていたのかな」と想像した。同時に「言っておけばいいじゃん」とも思った。「言うタイプじゃないけど。(言われれば)だったら、ヒデのために、ってみんながなる」。しかし、それが中田英寿という人間でもあった。

 当時の“孤立”と言われた状況について、福西氏は「孤立の中でも、彼は彼なりに降りてきてボールを蹴ったりした。だけど、それは自由だから」。誰も強制したりしない。中田は自分で考えてウオーミングアップをしたり、イメージを膨らませるために考え事にふけったりすることもある。「声をかけたりもするが、それぞれを尊重していた。それだけですが、それを“孤立”だとか言われる。孤立でもない。話もしますし、ご飯の時も話をするし」と、外部からの見方には違和感を感じた。

 いまだに、サッカーファンの間では当時の「孤立」について話題になることもあるが、福西氏は「言うほど、孤立してない」と断言。日本代表では、各自の準備などを尊重するケースが多く、「だから普通なんですよ、ようは。今まで通りの、ずっと同じ形」と、それまで続いていた中田の日本代表の時の様子と何も変わらないと説明した。

 前園も「ヒデの孤立は、一人で淡々とやるから孤立と言えば孤立だけど。でも普通に話すし、みんな、そういうもんだと思っているから」と理解。そのうえで「まあ、でも結果が出なかったら、そういう風に書かれるんですよ。そう書いた方が面白いから」と一部メディアの論調だと加えた。

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