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【アジア杯】森保ジャパン 1次Lで初めて負けた 「ドーハの悲劇」の地で因縁のイラクに1-2

[ 2024年1月20日 04:45 ]

アジア杯1次リーグD組   日本1―2イラク ( 2024年1月19日    カタール・アルラヤン )

<イラク・日本>前半、2点目を失う日本(撮影・西海健太郎)
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 悲劇、再び――。3大会ぶり5度目の優勝を狙うFIFAランキング17位の日本代表は、ドーハ近郊のアルラヤンで行われた1次リーグD組の第2戦で同63位のイラク代表に1―2で敗れた。アジア杯にA代表で参戦するようになった92年大会から、1次リーグでの黒星は史上初めて。昨年6月のエルサルバドル戦から続いていた連勝記録も10でストップした。日本代表は24日に第3戦のインドネシア戦に臨む。

 選手としてピッチにぼうぜんと立ち尽くした“ドーハの悲劇”から31年。因縁のカタールで今度は指揮官としてイラクに苦杯をなめた森保監督は「完全アウェーの雰囲気をつくられた中で追う展開になったのは痛かった」と表情をこわばらせた。

 同じ中東イラクからは多くのサポーターが会場を埋め尽くし、イラクのチャンスには大歓声が起こり、日本がボールを持つとブーイングが響いた。完全アウェーの中、相手に「高さ」と「速さ」という強みを発揮されて失点を重ねた。

 試合後の記者会見。森保監督は序盤から相手が圧力をかけてくることは想定内だったことを明かしつつ「相手がそれ以上に来た。その意味では力が足りなかった」と努めて冷静に敗因を分析した。

 まずは「高さ」だ。前半5分、右サイドを崩されてクロスを上げられた。GK鈴木がはじいたが、こぼれ球を1メートル89のFWアイメンに頭で押し込まれた。前半終了間際の2失点目は「速さ」。右サイドで体を寄せにいったDF菅原が振り切られて独走を許し、最後は折り返しに再びアイメンにヘディングでゴールネットを揺らされた。

 森保監督は前日会見で“ドーハの悲劇”について言及。中東のメディアから「悪夢か?」と問われると「今は監督の立場で来ている。自分の経験がよぎることは仕事の中ではない」と説明していたが、悲劇は繰り返された。2列目を並べ替えた後半から盛り返し、同10分過ぎにはFW浅野がペナルティーエリア内で倒された。しかし、VAR判定でノーファウル。後半終了間際に左CKから遠藤が頭で合わせて一矢報いたが反撃の時間が足りなかった。

 勝って突破を決めきれなかったことで第3戦が想定外に負荷のかかる一戦になった。試合後に円陣を組んだ指揮官は「次に向けて戦いは始まっている。次に勝利できるように頑張ろう」と選手に前向きな声を掛けたが、早くも“正念場”を迎えることになった。

 ▽ドーハの悲劇 1993年10月28日、カタールのドーハで行われた94年W杯米国大会アジア最終予選のイラク戦。4戦を終えて首位に立っていた日本は勝てば初のW杯出場が決まる状況だった。前半5分にFW三浦知良のゴールで先制し、その後同点に追いつかれるも、後半24分にFW中山雅史のゴールで再びリード。初のW杯出場に迫ったが、後半アディショナルタイムにCKから同点とされて2―2で引き分けた。参加6チーム中サウジアラビア、韓国に次ぐ3位に転落し、2位までのW杯出場権を逃した。

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