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岡野俊一郎さんを悼む…交友関係の広さ物語る19人目選手でメダル

[ 2017年2月4日 08:10 ]

16年1月、日本スポーツ賞表彰式に出席した岡野俊一郎さん
Photo By スポニチ

 岡野さんは元々ヘビースモーカーで、1日に2箱ぐらい吸っていた。お酒も一時期上野でバーを経営したほど好きで、めっぽう強かった。日本サッカー協会の役員やIOC委員として、海外の関係者と交渉事をする時も、「酒でも負けたら駄目なんだ」と言っていた。

 麻雀も高校時代に覚えて、日本代表監督時代に香港やマレーシアへ遠征した時も、同国協会の関係者と会食する前にまず卓を囲んだという。語学が堪能なだけでなく、タバコ、酒、麻雀などもやり、相手の懐深く飛び込んだ。

 メキシコ五輪の際、当時のJOCは資金不足で、サッカーは19人の選手登録枠があったのに18人しか派遣しなかった。枠が1つ空いていることに気づいたメキシコサッカー協会の関係者から「君を登録しておくよ」と言われた。長沼監督に相談しコーチ兼任の選手として登録されたが、日本が3位になったために、選手しかもらえない銅メダルも授与された。メキシコ協会に友人がいたからこそだった。

 02年W杯招致活動でも、岡野さんの人脈が役に立った。開催地を決める理事会前日、FIFAのブラッター事務局長(当時)から「韓国が共催を受け入れると文書を出してきた。日本はどうする」と、電話がかかってきた。長沼会長らと協議し、日本も受け入れることに決め、翌朝岡野さんがFIFA本部まで文書を届けた。「この文書をどうするんだ」と聞いたところ、ブラッターは「アベランジェ会長を守るために使うんだ」と答えたという。FIFA要人とも気心が知れた関係だったからこそのエピソードだった。 (スポーツ部専門委員・大西 純一)

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2017年2月4日のニュース