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鹿島の成功の秘訣は…

[ 2016年12月27日 09:00 ]

鹿島に“スピリット”を叩き込んだジーコ
Photo By スポニチ

 【大西純一の真相・深層】クラブW杯で鹿島が決勝に進出して世界中を驚かせた。12月18日の決勝戦ではレアル・マドリードに2−4で敗れたが、延長戦にもつれ込む接戦。Jクラブが優勝して世界一になる日が少し近づいたと感じさせられた。

 鹿島の強さは組織された守備と鋭いカウンター、そして勝負に対する執念だ。「ジーコ・スピリット」とよく言われるが、91年にジーコが現役復帰し、鹿島の前身・住金入りして「プロとは」を教えたものがベース。節制やフォアザチームだけでなく、常に試合で勝つことを意識して練習することなどだ。

 91年にJリーグに参加する10チームが決まった時、住金(鹿島)が選ばれたことはサプライズだった。当時2強と言われた読売(現東京ヴェルディ)と日産(横浜F・マリノス)、丸の内御三家と言われた古河電工(ジェフ千葉)や三菱自動車(浦和レッズ)と違って、日本リーグ2部からの参加、もちろん日本リーグや天皇杯で優勝した経験もなかった。

 川淵チェアマンに「99・9999%ない。屋根付きスタジアムでも造るなら別だが」と言われ、茨城県に掛け合ってカシマスタジアムの建設の約束を取り付けて10チームに滑り込んだ話は知られている。「戦力は3年で整えられるが、ハードはなかなか造れない」と、スタジアム建設が決め手となった。

 その鹿島が四半世紀後に、Jクラブで初めてクラブ世界一を争う大会の決勝戦に駒を進めた。当時のJリーグ関係者に先見の明があったということだろう。イソップ童話のウサギとカメの話ではないが、鹿島の地道な努力のたまものだろう。伝統も実績もなく、愚直に頑張り、気がつけば8度のリーグ日本一、18個のタイトルを獲得し、誰もが「Jリーグの盟主」と、認めている。2強といわれた東京VはJ2でもがいている。横浜も優勝からは遠ざかっている。御三家のひとつだった浦和が年間勝ち点1位と第2ステージ優勝を飾ったが、CSでは鹿島に逆転負けした。

 強いサッカーチームをつくるのは難しい。勝ち続けることはさらに難しい。鹿島をここまで引っ張ってきたフロントも、ここから代替わりが始まる。成功の秘訣となった愚直な姿勢がどこまで続くか、注目している。(専門委員)

 ◆大西 純一(おおにし・じゅんいち)1957年、東京都生まれ。中学1年からサッカーを始める。81年にスポニチに入社し、サッカー担当、プロ野球担当を経て、91年から再びサッカー担当。Jリーグ開幕、ドーハの悲劇、ジョホールバルの歓喜、W杯フランス大会、バルセロナ五輪などを取材。

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2016年12月27日のニュース