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森孝慈氏死去…メキシコ銅戦士、日本代表、浦和監督など歴任

[ 2011年7月17日 18:05 ]

死去した森孝慈氏(日本サッカー名蹴会発足式で、2010年9月27日)

 1968年メキシコ五輪サッカー銅メダリストで日本代表監督も務めた森孝慈(もり・たかじ)氏が17日午前9時21分、腎盂がんのため東京都目黒区の病院で死去した。67歳。広島県出身。葬儀・告別式は22日午前11時から東京都世田谷区瀬田3の6の8、公益社用賀会館で。喪主は妻晴美(はるみ)さん。

 広島・修道高から早稲田大を経て三菱重工(現浦和レッズ)入り。主にMFで活躍し、早稲田大では主将を務めた66年度に関東大学リーグ、全国大学選手権、天皇杯全日本選手権の3冠を達成。日本リーグでは2度優勝した。77年に引退するまで日本代表では国際Aマッチ56試合で2得点。64年東京、68年メキシコ両五輪の代表で、メキシコでは全試合出場して銅メダル獲得に貢献した。81~85年には日本代表の監督も務め、ワールドカップ(W杯)メキシコ大会アジア最終予選では初の本大会出場まであと一歩に迫った。

 Jリーグでは浦和レッズの創設に尽力し、92年に初代監督となった。浦和では2001年から06年までゼネラルマネジャーも務め、天皇杯で2連覇。06年にサッカー殿堂入りした。

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2011年7月17日のニュース