東大に落ちて…運動経験なしのラ・サール出身28歳・阿部龍也が7月に競輪本格デビュー

[ 2021年6月29日 16:24 ]

 ラ・サール高校(鹿児島)出身の才人が、どういうわけか競輪の世界に飛び込んだ。119回生の山口支部・阿部龍也(28)だ。学生時代は勉強に明け暮れて運動経験はほぼ皆無。そんな阿部が、7月に本格デビューを果たす。オールドルーキーの挑戦に注目しよう。

 なぜ競輪選手に、という疑問はひとまず置いておいて、阿部の経歴から紹介しよう。防府市で生まれ、塾の先生の勧めもあり全国屈指の進学校、ラサール高校へ進んだ。「勉強することに抵抗がなかった。親が家に教材を取っていて、自然とやる感じでしたね。『勉強をやりなさい』とも、そこまで言われなかったし(勉強が)嫌いではなかった」。

 全国からエリート候補生が集まる高校の中でも成績は上位。しかし「周りが医者志望だらけで、自分はなんとなく、そうはなりたくなかった。“これになりたい!”というものがなかったんです。今にして思えば、それが良くなかったのかな」。1本に絞った東京大学(理科1類)の受験は不合格。「僕なりに頑張った結果。後悔はしていない」。浪人はせずに、防府市の自宅に戻った。すると母・香(かおり)さんの勧めでイギリスのケンブリッジ市へ留学。1年間「景色がいい」土地で心身共に成長した。

 帰国後は塾の講師などを務め、防府市内の会社に就職。毎日、自宅から片道約15キロの道のりを自転車で通勤し「自分の体だけで、こんなにスピードが出るんだ」と、自転車の魅力にとりつかれた。ここから本格的に自転車との向き合いが始まる。雨の日でも乗りたくなったり、トレーニングをする中で、いつしか通勤手段から趣味へと変わり、さらに競輪選手を目指すようになった。運動経験は全くなかったが、2回目の挑戦で養成所に合格。1年間の養成所生活を経て3月に選手登録された。ルーキーシリーズ(新人同士の開催)を2開催、消化。7月の本格デビューが迫ってきた。

 「センスはみじんもないけど、もうやるしかない。努力し続けるだけです」

 阿部の最大の武器は努力し続ける力だ。勉強もそうだったが、競輪も同じ。防府競輪の業務係を務める梅田遼太さんが「養成所に入る前の1、2年、バンクが使える日は、阿部さんが毎日練習しているのを見ていました」と話す。強くなるための努力は惜しまない。

 競輪は個人競技でありながら、団体競技のような側面もある。地区などでラインと呼ばれるチームを形成し、相手のライン、さらにはライン内で駆け引きが繰り広げられ、最終的に誰よりも早くゴール線に飛び込んだ選手が1着となる。ただ単純にタイムを競う競技ではない。競輪のトップ選手で、東京五輪自転車競技の金メダル候補・脇本雄太(福井)も中学卒業まで運動経験はない。阿部の豊富な人生経験と、明晰(めいせき)な頭脳をもってすれば、運動経験と脚力の不足を補うことは十分可能なのだ。

 小学生の頃、父・正輝(まさてる)さんに連れられて防府競輪場に足を運んだ。看護師として働く母・香さんは競輪場の医務室でお手伝いをしたこともあるそうだ。意外にも阿部家にとっては、縁がある世界だったのかもしれない。

 「自転車はシンプルだけど奥深い。師匠の桑原(大志)さんからは『必ずご褒美が来るときがあるから、それを信じて頑張れ』と言われている。信じて頑張ります」

 愚直なまでに努力を続ける28歳のオールドルーキーが競輪界に新風を巻き起こす。

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2021年6月29日のニュース