競馬界に衝撃…マイネル軍団“総帥”岡田繁幸さん 71歳誕生日に急死

[ 2021年3月20日 05:30 ]

14年、愛馬のコスモバルクと写真に収まる岡田繁幸氏
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 馬主、生産者として知られる岡田繁幸(おかだ・しげゆき)氏が19日朝、亡くなった。死因は不明。この日が71歳の誕生日だった。北海道出身。近年は体調を崩していたが最近は回復傾向にあり、11日のビッグレッドファーム(北海道新冠町)での種牡馬展示会でも元気な姿を見せていた。

 岡田氏は愛馬会「ラフィアン・ターフマンクラブ」を設立し、冠名マイネル軍団の“総帥”として知られた。競りには常に顔を出し、“日本一の相馬眼の持ち主”と呼ばれ、競馬中継では引っ張りだこだった。

 こうと決めたら突き進むホースマンだった。肺結核で日大農獣医学部を2年で中退した後、米国へ。そこでラフィアンという1歳馬に出合い「必ず米国のトップになる」と公言。周囲が見向きもしない馬はデビュー10連勝の大出世を果たした。帰国後は実家の牧場を継がず独立。金銭的に厳しい中、自ら重機に乗って荒れ地を開いた。86年、所有馬グランパズドリームがダービー2着。14番人気だったが、ほぼ勝てると周囲に公言したのは伝説だ。

 競馬にロマンを求め、00年セレクトセールでは「フランクアーギュメントの2000(競走名カーム)」を3億2000万円で落札。「二度と合えない馬」「種牡馬にするべき馬」と語ったが、JRA3戦0勝で岩手競馬に移籍した。01年生まれのコスモバルクは400万円で購入後、ホッカイドウ競馬でデビュー。中央に移籍させず、ホッカイドウ所属のままダービー制覇を目指した。

 年間0勝の柴田大知に救いの手を差し伸べたり、若い松岡正海を主戦に抜てきするなど人も育てた。松岡は「一つのことに、これだけの情熱を注げる人物を他に知らない。年の離れた僕らにも低姿勢で丁寧に接してくれる立派な方だった。最大の夢だったダービー制覇がかなわなかったのが心残り」と語った。

 ◆岡田 繁幸(おかだ・しげゆき)1950年(昭25)3月19日生まれ、北海道出身。静内の岡田牧場(現岡田スタッド)の長男として生まれ、静内高から日大農獣医学部(中退)。24歳でビッグレッドファームを開く。86年クラブ馬主の「サラブレッドクラブ・ラフィアン」設立。牡馬には「マイネル」の冠名を付け、ダービーを優勝したら、この冠名をやめると公言していた。96年マイネルマックス(朝日杯3歳S)でJRA・G1初制覇。昨年、無敗で牝馬3冠を制したデアリングタクトを所有するノルマンディー・オーナーズクラブを率いる岡田牧雄氏は実弟。

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