【ダービー】1着エイシンフラッシュ

[ 2010年5月31日 06:00 ]

ダービーを制したエイシンフラッシュ(右)と、鞍上でガッツポーズする内田博幸騎手

 皐月賞3着から大逆転!!3歳サラブレッドの頂点を決する「第77回日本ダービー」が30日、12万人をのみ込んだ東京競馬場で行われ、7番人気エイシンフラッシュが内田博幸騎手(39)の豪快な手綱さばきに導かれて快勝。内田は6度目の挑戦でダービージョッキーの栄誉をつかんだ。1番人気の皐月賞馬ヴィクトワールピサは3着、4戦4勝で挑んだペルーサは6着に敗れた。

 東京の直線にせん光が走った。残り400メートル、内田が右ムチを叩き込むとエイシンフラッシュの体がグッと沈み込んだ。一気に馬群を抜け出し、1度は前に出たローズキングダムを残り150メートルでとらえた。手前(軸脚)を替えて突き放し、右ムチ3発でとどめ。6度目の挑戦で、ついに内田の右腕が上がった。
 「感無量だ。自分でもよくやったと思う」。馬を信じ切った。並ぶ時の脚の速さは過去に3度乗って分かっていた。ただ、かわすと真剣さを失う。だからこそ待てるだけ待ち、勝負どころでローズキングダムを目がけて追い出した。「皐月賞でモマれた経験がきっと生きる。前さえ空けばひと脚使う。力の差はないと思っていた」。能力を信じ、最高のタイミングで追い出した。内田の技術の結晶だった。
 リーディングを奪取した昨年から一転、今年は苦しんだ。1月11日の中山で大量落馬に巻き込まれて左腕骨折。リーディング独走から暗転した。2月21日のフェブラリーSで41日ぶりに復帰したが痛みは残り、体も思い通りに動かない。苦闘の日々が続いた。「自分の手を離れた馬が次々と重賞を勝っていく。悔しかった。だが悔しさを胸に抱いていれば、もっと大きい仕事ができると自分に言い聞かせた」。文子(あやこ)夫人、2歳の長男・祐誠(ゆうせい)君にも励まされ、ついに抜けたトンネル。そこに中央に移籍する前からの夢だったダービージョッキーの称号があった。「こんなに大きい勲章が来るとは想像がつかなかった。家族にもつらい思いをさせた」。初めて表彰式の輪に加わった家族を内田はそっと抱き寄せた。
 藤原英師は「出来は最高だった」と胸を張った。鼻肺炎で皐月賞前に1戦使えない誤算があったが「それがかえってダービーに向けて良かったかな」と分析した。ただ、決戦前夜は悲しみに襲われていた。07年ダービーに出走し、シンガポール遠征も果たした厩舎のエース・タスカータソルテを29日の金鯱賞のレース中に失った。「天国から後押ししてくれたのかもしれない」と言うと、指揮官の声がグッと詰まった。
 秋の目標はオーナーサイドと相談の上で決まる。凱旋門賞(10月3日、仏ロンシャン)にも1次登録を済ませた。「それだけの馬と思っているから登録した。ただ、馬の様子を見てから」(藤原英師)と結論はまだ先だ。近年まれに見る最高のメンバーで行われたダービー。頂点に立ったのは苦しみ、悲しみを乗り越えた強き男たちだった。

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2010年5月31日のニュース