【ダービー】過去10年を振り返る

[ 2010年5月30日 06:00 ]

 【00年】“河内のおっちゃん”がついにやった。デビュー27年目の45歳、17度目の挑戦で河内騎手がダービージョッキーの称号を手に入れた。京都新聞杯Vのアグネスフライトでダービー3連覇を狙った弟弟子の武豊エアシャカールと壮絶な追い比べの末、鼻差競り勝った。

 【01年】リベンジ。皐月賞ではスタートでつまずき脚を余して3着のジャングルポケット。角田騎手は初のクラシック制覇がダービーとなった。95年に無敗のまま皐月賞直前に故障引退したフジキセキと同じ斉藤四方司オーナー、渡辺師、角田のトリオが意地を見せた。
 【02年】武豊騎手が前人未到のダービー3勝目を挙げた。1番人気に推された皐月賞、NHKマイルCは3着に敗れたタニノギムレットが3度目の正直で栄冠を手に入れた。当時は常識外れとされた皐月賞→NHKマイルC→ダービーの過酷なローテーションを克服した。
 【03年】皐月賞馬ネオユニヴァースに騎乗するため、デムーロ騎手は短期騎手免許を延長した。そのかいあって外国人騎手で初めてのダービージョッキーが誕生した。前年に母国イタリアで初めてダービーを勝った24歳が異国の地・日本で2冠制覇を達成。感涙にむせた。
 【04年】2分23秒9。驚異的なダービーレコードでキングカメハメハが府中の長い直線を駆け抜けた。皐月賞に出走せず、NHKマイルC→ダービーのローテーション。松田国師は02年Vタニノギムレットの経験を生かした。安藤勝騎手は地方競馬出身騎手として初の優勝。
 【05年】単勝1・1倍のディープインパクトがデビューから無傷の5連勝。史上6頭目となる無敗の2冠馬になった。ダービー4勝目の武豊騎手はレース後に「英雄」というニックネームを進呈。秋は無敗のまま菊花賞を勝ち3冠馬に。フィーバーぶりは社会現象になった。
 【06年】華やかな舞台とは無縁だったデビュー22年目の石橋守騎手がメイショウサムソンで2冠達成。プレッシャーは相当だったはずだが、ゴール前は馬に負担を掛けないよう手綱を緩める心憎い騎乗。翌年の2月で定年を迎える瀬戸口師に最高のプレゼントを贈った。
 【07年】ウオッカが43年クリフジ以来の牝馬V。桜花賞ではダイワスカーレットに敗れ2着。オークスで巻き返せばの声には耳を貸さず、信念を貫いた陣営の英断が光った。1番人気の連勝は6でストップ。3連単215万5760円は当時のクラシック最高配当。
 【08年】ディープスカイがNHKマイルCに続く変則2冠。四位騎手は武豊騎手以来となる連覇を達成した。小回りで道中ごちゃつきやすい中山で開催される皐月賞にはあえて使わず、同じ東京コースのNHKマイルCから本番に臨むローテーションが定着してきた。
 【09年】極限の不良馬場。1番人気の皐月賞で14着に大敗したロジユニヴァースがスイスイと先行する。直線でインから先頭に立つとリーチザクラウンに4馬身差。念願のダービージョッキーとなった横山典騎手は「正直、自信はなかった。馬を信じられなかった自分が情けない」と語った。

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2010年5月30日のニュース