海老名香葉子さん死去「お前なんか死んでくれれば」罵声浴びながら…野宿し草を食べ…激動の戦後生き抜く

[ 2025年12月29日 17:58 ]

79年、インタビューに応じる初代・林家三平と妻の海老名香葉子さん
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 初代林家三平さんの妻で林家正蔵(63)の母・海老名香葉子(えびな・かよこ)さんが死去したことが29日、「ねぎし三平堂オフィシャルサイト」で発表された。92歳だった。東京都出身。葬儀は故人の遺言により29日に家族葬で執り行われた。「お別れの式」は来年1月9日に都内にある「東叡山 寛永寺 輪王殿第一会場」で行われる。

 同サイトで「喪主よりご挨拶」として長男の正蔵がコメントを発表。「母 香葉子 クリスマスイヴの晩 穏やかに旅立ちました 終戦からの激動の時を強く生きていきました 根っからの江戸っ子 情に厚く 涙もろく 真っすぐな気性 九十二歳の大往生でした 生前 ご厚意を賜り心より感謝いたします」とつづった。

 香葉子さんは1933年、東京市本所(現墨田区)に生まれる。生家は釣り竿の名匠「竿忠」。戦争が激化するまでは、比較的裕福な生活を送る。父をはじめ、1945年3月10日の東京大空襲で家族6人を亡くし、石川県穴水町に疎開。疎開先で終戦を迎える。終戦後は親戚の家を転々とし、戦災孤児として野宿をしたり、草を食べて生活することもあった。

 両親の財産は親族が次々と処分され、身を寄せたおば夫婦には「お前なんか死んでくれればよかった」と罵声を浴びせられることもあった。

 16歳の時に、父の店の常連客であった落語家の三代目三遊亭金馬さんに引き取られる。18歳で初代林家三平と1952年にお見合い結婚。初デートでは三平さんの卒業した明治中学校に連れて行かれた。翌53年に長女・みどりが生まれる。その後も泰孝(現林家正蔵)、泰助(現林家三平)、泰葉と4人の子供を育て上げた。

 結婚後は、三平さんの浮気に悩まされることもあったが、多忙な夫を献身的にサポート。1980年に三平さんが肝臓がんで亡くなるまで添い遂げた。

 夫の死後は三平一門の存続に尽力。個人経営の事務所「ねぎし事務所」の代表取締役を務め、95年には自宅に三平さんゆかりの品を展示する「ねぎし三平堂」をオープンした。一門の「おかみさん」として落語界に大きな影響を与えた。

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