【藤あや子 我が道12】再婚願った人が私の部屋で…引退決意も周囲に支えられ

[ 2025年12月12日 07:00 ]

スキャンダルで引退決意も初紅白
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 1991年の第2弾「雨夜酒」が50万枚の大ヒットを記録し、年末の第33回日本レコード大賞で「美空ひばり賞」をいただきました。年が明けた92年1月は五木ひろしさんの新橋演舞場公演に2日からゲスト出演させてもらっていました。6日の午前10時ごろ、楽屋で準備をしていると、劇場事務所に父から電話が入りました。「何ということをしてくれたんだ」と父。「何があったの?」と聞き返しても、すぐに事情がのみ込めませんでした。

 藤あや子としてデビュー以降2年半ずっとレコード会社宣伝担当としてお世話になっていたIさんが、私の部屋で自殺したのです。秋田から娘と一緒に帰京した父が発見したそうです。すぐ楽屋に戻り、慌てて肌着の上にセーターを羽織りました。ジーンズをはき、髪に巻いていたホットカーラーをもぎ取り、楽屋を飛び出しました。タクシーがつかまらず、道路も渋滞していたので、奇妙な格好のまま地下鉄に飛び乗りました。自宅の玄関に靴があふれていた光景をなぜか覚えています。悪い夢なのか、現実なのか、まったく訳が分からず、気が動転したままでした。

 Iさん抜きの藤あや子は成立しないと思うほど、6歳年上の彼に頼り切っていました。娘もなついていて、心から再婚したいと願っていました。そんな2人の不倫関係が会社で問題となり、Iさんは板挟み状態になっていました。私はもう歌手をやめてもいいと思っていましたが、逆に彼にプレッシャーをかけていたのかもしれません。何も考えられず、何も感じず、何も手につかず、ホテルで廃人同様の日々が続きました。そんな私に父は「秋田に帰ろう」と言ってくれました。私も歌手を引退するのが当然だと思っていました。

 しかし、Iさんのお母さまから「真奈美ちゃんが歌手として頑張ってくれることが供養になります」というお手紙が届き、少し救われた気がしました。大先輩の森光子さんと島倉千代子さんが周防郁雄社長に「彼女をやめさせないであげて」「もう一度、彼女にチャンスを与えてあげてください」と頼んでくれたそうです。当初はほとんど私のことを諦めていた周防社長も、レコード会社など関係各所を謝罪に訪れ、私の再出発を頼み込んでくれました。そうした皆さんのお気持ちで、活動を再開することになりました。

 発売が延期されていた新曲「こころ酒」は9月1日に発売されました。実は4月と7月に2度、Iさんのお墓参りに行く許可をいただき、墓前でおわびと報告をさせてもらいました。文字通り死に物狂いで働くだけでした。藤あや子を売ることにいちずだったIさん。その思いに応えるのはヒットを出すしかありません。結果、年末の第25回日本有線大賞を受賞しました。大みそかの第43回「NHK紅白歌合戦」にも初出場できました。今思い起こしても、信じられません。目に見えない物凄い力が、私を再び歌の道に引き戻してくれた気がします。

 ◇藤 あや子(ふじ・あやこ)1961年(昭36)5月10日生まれ、秋田県角館町(現・仙北市)出身の64歳。民謡歌手として活動後、87年に村勢真奈美の芸名で「ふたり川」でデビュー。89年、藤あや子に芸名を変え「おんな」で再デビュー。92年「こころ酒」で日本有線大賞を受賞、第43回NHK紅白歌合戦に初出場、21回出場している。新曲「想い出づくり」など「小野彩(このさい)」のペンネームで作詞・作曲も行う。

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