デビュー60周年の千昌夫 「強引な本当に押し込み弟子」デビュー秘話告白 高校中退で岩手県から上京

[ 2025年10月14日 16:33 ]

千昌夫
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 演歌歌手の千昌夫(78)が14日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)に出演。デビュー秘話を明かした。

 今年デビュー60年を迎えた千。司会の黒柳徹子が「60年は長かった?短かった?」と聞かれた千は「本当に今思うと長いようで、あっという間というか」としみじみ。

 千は岩手県陸前高田の出身で、8歳の時に左官業をしていた父が出稼ぎ先で他界。当時31歳だった母は女で1つで男3人の兄弟を育ててくれたという。「子供の頃に朝早くから畑の仕事をして、蒸気機関車で1時間ぐらいかけて、気仙沼のサイダー工場に行って。で、本当にそういうのを見てその頃から“かあちゃん、幸せにするからな”って。こういうような、ませたことどうも言ってたみたいなんです」と笑った。

 その後、高校を中退し、上京し、売れっ子作曲家の遠藤実氏の内弟子となる。「あの頃、『明星』とか『平凡』っていう雑誌があってその付録で歌本が付いていたんです。その中に、今じゃ考えられないんですけど、遠藤実先生の家の住所が載ってて。当時は作曲家の先生のところで修行して、それで作曲家の先生がレコード会社に紹介するという時代だった。そして、遠藤先生のところへ何のつてもなく、その歌本の住所を頼りに」とノーアポで押しかけたという。

 ただ、弟子志望の若者が100人以上行列していたそうで「自分と似たような考えを持った人がね、そんなにたくさんいるとは思わなかったんです」と千。「(遠藤家には)その当時、そういう歌手になりたいと言って訪ねてくる人の専門に断ってたお手伝いさんがいらっしゃって。(断わるのが)上手なんですよ」と明かした。

 「見てると“どちらからいらっしゃいました”“先生にはどんなご用事でですか”って、もうテキパキと。それで、必ず聞くのは“東京で泊まるところあるんですか”“帰りの汽車賃はあるんですか”“親御さんに言ってきましたか?”って。そのキーワード3つぐらいで、“言ってきてません”“帰りの汽車賃もありません”って言うと、すぐ警察官の方が来て連れてかれちゃうんですよ」と苦笑。「だから、自分の番に回ってくるまでに自分の前の人たちで勉強しまして。それを3日続けたんです。そうしたら、さすがに3日通ってくる人がいないわけですよ。3日目になったらさすがにそのお手伝いさんが僕のこと覚えててくれて。“また来たの?”“何回来たって会えないんだから”と。で、僕はそのしゃべってるお手伝いさんに訛りを感じたんです。(聞いたら)“新潟だ”って言ってくれたんですよ。断ってる人の割には僕に親しみを持ってくれたような」と振り返った。

 「そんなことしているうちに、夕方5時半とか6時ぐらいになってて、先生の家の夕飯の支度をする時間。先生の奥様、その後、“ママ”って僕らがずっと呼んでた“ママ”が料理をするためにお手伝いさんに手伝ってもらわなきゃいけないから、“かずえちゃん、何やってんの”って」と遠藤氏の奥様がお手伝いさんを呼んだという。お手伝いさんが岩手から3日間通ってくる子がいること説明すると、「“じゃあ、明日の3時半ぐらいにいらっしゃい”って言っときなさい」と言われたといい、千は「それが公の約束になって。弟子になってから、先生から聞いたんだけど、ママは怒ったらしいんですよ。“お前余計なこと言うんじゃないよ”って。そうして、遠藤先生の内弟子になれたんです」と懐かしんだ。

 「強引な本当に押し込み弟子」と笑った千。その後、1965年に「君が好き」でデビュー。1966年発売の「星影のワルツ」が翌年の1967年にミリオンセラーの大ヒット。1968年に「NHK紅白歌合戦」にも初出場。1977年発売の「北国の春」はロングヒットとなり、1979年にミリオンセラーとなった。その後も「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などの数々の曲がヒットした。

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