吉行和子さん死去 功績振り返る 「愛の亡霊」「金八先生」など出演 随筆家の一面も 母は朝ドラモデル

[ 2025年9月9日 09:11 ]

1978年、映画「愛の亡霊」でカンヌ映画祭で監督賞を受賞。凱旋記者会見で大島渚監督(左)と吉行和子さん
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 女優の吉行和子(よしゆき・かずこ)さんが死去した。90歳。9日までに所属事務所「テアトル・ド・ポッシュ」が発表した。数々の話題作に出演し、存在感を放ってきた吉行さん。エッセイストとしても活躍した才人。来年2月公開の映画「金子文子 何が私をこうさせたか」(監督浜野佐知)が遺作となった。これまでの偉大な功績を振り返る。

 名女優が静かに旅立った。所属事務所のテアトル・ド・ポッシュによると、故人の遺志で近親者で葬儀を営んだという。

 2年前、理想の映画作りに奔走する男女の悲喜こもごもを描いた「愛のこむらがえり」でスクリプター役を存在感たっぷりに演じた吉行さん。出演したトーク番組で、1人で映画館にも行き、パソコンやスマホも難なくこなしているといった近況を報告。大相撲の若隆景をひいきにしていることも明かしていた。

 1935年(昭10)8月9日、東京都出身。父は作家の吉行エイスケ、母は日本の美容師の草分け的存在で97年度前期NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」のモデルとしても知られるあぐりさん、兄は作家の吉行淳之介、そして妹も詩人の吉行理恵という芸術家一家の長女として生まれた。

 2019年のスポニチ本紙の取材に応じ、女優になるきっかけや自身の芸能生活を語っていた吉行さん。生まれた時から体が弱く、ぜんそくに苦しんだ。舞台に興味を持ったきっかけは中学3年の時、美容師をしていた母あぐりさんが偶然、客からもらった2枚のチケットで劇団民芸の舞台「冒した者」(作・三好十郎)を見に行ったこと。

 高校卒業後、民芸付属の研究所へ飛び込む。女優になろうとしたわけではなく、無性に舞台に関わる仕事がしたかったからだ。57年、劇団が「アンネの日記」を上演することになったものの、公演開始わずか1週間で主役が風邪でダウン。思わぬことからアンネ・フランクの役が回って来た。

 新劇女優の殻を破ったのは、大島渚監督の映画「愛の亡霊」(1978年)だった。兵隊帰りの男に身も心も奪われ、夫を殺害する激しい愛に生きた人妻役。「30歳を過ぎるとなかなか面白い役に巡り合わなくて、“この役を逃したらずっとおばさん役で終わっちゃうのかな”と思いました。本を読んだ時は、私がヒロインに代わって恋を成し遂げてあげようという気持ちでしたね」と振り返っている。

 映画をきっかけに自身の周囲もガラリと変わったといい「あなたがこんな作品に出るとは思わなかった」と去っていく知人もいた。逆に「この役をやってもらいたい」と次々に新たな仕事が舞い込み、結果的には女優業の幅を大きく広げることになった。

 ドラマでは「3年B組金八先生」「ふぞろいの林檎たち」など話題作に出演し人気に。映画では「おくりびと」、「家族はつらいよ」シリーズなど。08年、「アプサンス~ある不在~」を最後に舞台からの引退を表明したが、好評だったため翌年にアンコール公演が決定。「女優って嘘つきですね」の名言を残した。13年映画「東京家族」では日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞。

 優れた書き手で、著書も多数。83年にエッセー集「どこまで演れば気がすむの」を出版し、84年の第32回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。2000年の母の日に贈った「五行歌」も大きな話題を呼んだ。女優の岸田今日子、冨士眞奈美(87)と仲良しで、00年に共著「ここはどこ 時に空飛ぶ三人組」「わたしはだれ?櫻となって踊りけり」を出版した。

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