橋幸夫さん死去 晩年は“波乱の歌手人生”一度は引退 アルツハイマー型認知症と闘い続けた

[ 2025年9月6日 04:00 ]

歌手の橋幸夫さん死去

1963年、ステージで熱唱する橋幸夫さん

 「潮来笠」「いつでも夢を」などの大ヒット曲で知られる歌手の橋幸夫(はし・ゆきお、本名幸男=ゆきお)さんが4日午後11時48分、肺炎のため都内の病院で死去した。82歳。東京都出身。史上初めてレコード大賞を2度受賞し、舟木一夫(80)、西郷輝彦さんと「御三家」として大人気だった。2023年5月に一度、歌手活動から引退。その後復帰し、今年5月、アルツハイマー型認知症を公表し闘病していた。

 所属する「夢グループ」の石田重廣社長によると、橋さんは真由美夫人一人にみとられて息を引き取った。3日夕方、真由美さんから石田氏に容体急変を知らせる電話があった。4日夕方に病院を訪れると、橋さんは大きないびきをかいて寝ていた。「“寝てる場合じゃないよ。早く起きて”と呼びかけて手を握ると、手を振り払ってきたため一安心していたのですが…」。帰宅後、再び真由美さんから容体急変の連絡。駆けつけたが間に合わなかった。1週間ほど前に病院の枕元で一方的に話をしていると、目を開けたという。「いずれ話せるようになると思っていました」と残念がった。

 晩年は“波乱の歌手人生”だった。78歳だった2021年10月「コロナの影響で歌う機会が減り、低音部の声が出なくなった」と、80歳の誕生日の23年5月3日で歌手活動からの引退を宣言した。23年1月には「自分の歌を歌い継いでほしい」と“2代目・橋幸夫”を公募。4人を選び、東京・浅草公会堂での“ラストコンサート”でお披露目した。橋さんは「感無量。やり残したことはありません」とマイクを置いた。ただファンから続投を願う声が上がり、翌24年4月、引退は「浅はかな決断だった」と謝罪会見。歌手活動を再開した。

 25年5月20日、石田氏が橋さんがアルツハイマー型認知症と診断されたことを公表。それでも橋さんは翌21日の夢グループ公演のステージに立ち、大歓声の中「いつでも夢を」など3曲を熱唱した。同月末、自宅から救急搬送され「一過性脳虚血発作」で入院。6月初めに退院し、同11日の夢グループ公演に姿を見せていた。

 中学2年で作曲家の遠藤実さんに師事。1960年に17歳で「潮来笠」でデビューすると、いきなり大ヒット。同年の第2回日本レコード大賞新人賞に輝き、NHK紅白歌合戦にも初出場した。「潮来笠」をはじめ“股旅演歌”が次々ヒット。曲名と同じタイトルの映画も次々製作された。

 レコード大賞では、62年に吉永小百合(80)とのデュエット曲「いつでも夢を」、66年「霧氷」で2度大賞を受賞。レコ大史上初の快挙だった。舟木、西郷さんとは“御三家”と呼ばれ人気は青天井。歌手だけでなく俳優としても引っ張りだこで、昭和を代表するアイドルだった。70年代に入るとレコード会社「リバスター音産」を設立し実業活動にも乗り出したが、こちらは軌道に乗らなかった。

 橋さんは旅立つ直前、口をパクパクさせていたという。「歌いたかったのではないでしょうか」と石田氏。“歌手橋幸夫”を全うした人生だった。

 橋 幸夫(はし・ゆきお)1943年(昭18)5月3日生まれ、東京都出身。高校1年でビクターレコード(当時)のオーディションに合格。60年「潮来笠」でデビュー。著書には認知症の実母の介護生活をつづった「お母さんは宇宙人」(90年)など。2004年、モンゴルの親善大使に任命。17年に47年間連れ添った前妻と離婚し、再婚。22年に京都芸大の書画コースに入学し、個展も開いていた。

【アルツハイマー型認知症 脳が弱り誤嚥を起こしやすく】
 晩年はアルツハイマー型認知症と闘った橋さん。東京汐留クリニックの清水俊彦医院長は「脳がかなり弱っていたのでしょう。脳の機能が低下すると咽頭の締まりが悪くなり誤嚥(ごえん)を起こしやすくなる。その結果、肺炎を起こしたのでは」と推測した。アルツハイマー型認知症の他に脳梗塞も患っていた橋さん。認知機能が低下すると呼吸機能や排せつの管理能力が低下するといい、清水氏は「アルツハイマー型認知症の方は肺炎か尿路感染症で亡くなるケースも多い」と指摘した。

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