鈴木杏樹 音楽学院時代にスカウトされ英国で歌手デビュー 「骨をうずめるつもり」も女優転身のワケ

[ 2025年7月17日 12:15 ]

鈴木杏樹公式インスタグラム(@anju.suzuki_official)から

 女優の鈴木杏樹(55)が17日、TBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」(月~木曜前8・30)に生出演。芸能界入りのきっかけと英国での活動について明かした。

 この日パーソナリティーを務めたヤ―レンズから、芸能界入りのきっかけを問われた鈴木は、小学生時代は歌手の松田聖子らが「ザ・ベストテン」など歌番組で活躍していたとし「そういうのに普通に憧れて。ああ私も歌手になりたい、アイドルになりたいみたいな。歌も歌えないのに」と思うようになったと話した。

 自身は「凄い引っ込み思案で、発表もできない女の子だったんだけれども」としながらも、歌手になりたいと「地元の音楽学院とか行ってみようかって音楽学院に通って」と歌を習っていたという。

 すると「その学校の発表会にレコード会社の方が来てくださって、スカウトされるんですね」と回顧。「歌が上手とかじゃない、雰囲気ですよね」と笑ったものの、「それで東京に行くのかなと思いきや、当時日本はバブルの時代を迎えようとしていて。イギリスとかアメリカで日本人の歌手をデビューさせたいっていうプロジェクトが」持ち上がった。

 「アメリカは松田聖子さんからCBS・ソニーからデビューするって言って。でイギリスはじゃあ私。いってらっしゃいってなって。17歳の時に単身で渡英するんです」と告白し、ヤ―レンズは大抜てきだと驚いた。

 鈴木は「だからいっぱいいろいろ大変でしたよね」と話したものの、英語は「中1からインターナショナルスクールに行ってたんですよ」。それでも「アメリカ弁(英語)とイギリス弁が全然違って。行ったら耳なじみが悪くて。聞き取れなかったです、最初。方言っていうのかなあ」と苦労したと打ち明けた。

 生活は当時英国に住んでいたミュージシャンの屋敷豪太と鈴木賢司と同居をしており「困ったことがあったらお兄さんたちがいたので聞いたりして。全く1人ではなかった」と鈴木。

 そんな生活でも家族や友達がいないため「不安だったし、夕日見たら泣いてたし」「物凄いホームシックでした。母に毎日のように手紙書いてましたよ。当時まだメールがなかったから」と振り返った。

 最初に渡英したのは「逆輸入するということだったので、向こうでデビューして。そんなイメージだったみたいです」と説明。その後は1枚目、2枚目のシングルをリリース後、欧州ツアーを回り、アルバムをレコーディングしたものの、湾岸戦争がぼっ発。「イギリスが参戦してなかった時はまだ向こうで活動してたんですけれども、イギリスが参戦するんですね。ある時に」との事態となり、「ちょっと何があるか分かんないからっていうことで、1回帰って来た」と明かした。

 戦争がなければ「向こうにいました。いるつもり。骨をうずめるつもりでした。そのつもりでイギリスに行ったので」。戦争が終わるのを関西で待っていたが、なかなか終わらなかったため、「なんでもいいからお仕事させてください」と頼み込み、「じゃあ東京おいでってなって。歌手以外、音楽活動以外の仕事を始められたっていう。それが鈴木杏樹の誕生」と語った。

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