TOKIO 世界意識した「トキオ」&武道館 24年連続紅白出場 鉄腕で築いた“本気バラエティー”路線

[ 2025年6月26日 04:00 ]

(左から)国分太一、城島茂、松岡昌宏
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 94年7月12日、TOKIOのデビューは日本武道館で発表された。グループ名には東京発、世界を目指すアイドルとの思いが込められている。「TOKYO」ではないのは、欧米人は「トキオ」の方が発音しやすいのではとの考えから。城、山、国、松…と「和」を感じさせる姓のメンバーがそろった。

 当時はリーダーの城島茂が23歳、最年少の長瀬智也は15歳。囲み取材でテレビ番組の女性リポーターが「アイドルならバック転はできるの?」とムチャぶりすると、その場で5人が順々に軽くやってみせた。楽器演奏だけではない才能を披露し、何人かは「こっちも得意なんです」と胸を張った。光GENJIのバックダンサーだったため、実は踊りも得意だったのだ。

 事務所の先輩たちが横浜アリーナを主戦場としたのに対し、TOKIOは武道館。ロックバンドの聖地であり、世界的にも知られる場所を出発点に選んだ。以降、節目は武道館公演が恒例化する。NHK紅白歌合戦には同年大みそかにデビューから史上最速で初出場し、2017年まで24年続けて出場した。

 大きな転機は95年11月から始まった「ザ!鉄腕!DASH!!」。従来のアイドルとは違い、農業や漁業、酪農などに挑む姿に老若男女、世代を超えて知名度が浸透。メンバーたちは多忙な芸能活動の合間に重機などの資格を取得した。その本気度が視聴者に伝わったのだろう。後輩の男性アイドルたちが、続々とバラエティー番組で「二枚目だけではない姿」を見せるようになった。

 01年ごろ、番組ロケに同行。互いに仕事が終わると、よく松岡昌宏が部屋飲みに誘ってくれた。翌日、それを聞いた国分太一が「今夜は僕の部屋でやろう」。城島と長瀬はいつも疲れ気味で早めに就寝。山口達也さんは一人で外飲みに出かける行動派だった。それでも一夜明けて5人そろうと固い結束力で撮影に取り組んだ。

 国分は語り出したら止まらない熱血系。付き合っている女性の存在を隠し切れずに明かしてしまう一面もあった。31年前、世界進出に目を輝かせ、その後、後進アイドルたちの手本にもなったTOKIO。こんな形で解散することになるとは、あの頃は誰も想像できなかった。

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