藤村志保さん死去 映画、ドラマで活躍 臓器移植テーマの著書発表、社会に対して真摯にメッセージ発信

[ 2025年6月19日 14:11 ]

「男はつらいよ」20作のマドンナになった藤村志保さんと渥美清さん
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 「破戒」や「眠狂四郎」シリーズなど大映の看板女優として活躍し、地唄舞の名手としても知られた藤村志保(ふじむら・しほ、本名・静永操=しずなが・みさお)さんが6月12日に肺炎のため死去した。86歳。神奈川県川崎市出身。所属のオフィス優が発表した。葬儀は、故人の遺志により近親者のみで執り行った。臓器移植をテーマにした著書を発表するなど、社会に対してメッセージも発信していた。

 和服が似合い、日本人女性の凜(りん)とした美しさとかわいらしさを併せ持っていた藤村さんが静かに逝った。

 1957年、横浜のフェリス女学院高等部を卒業し、共立女子大学文芸学部の聴講生となる。この頃、既に花柳流の名取「花柳麗」として日本舞踊を教えていた。60年に演劇を学ぶため渡米を計画するが、兄が胃がんで急死したため断念。61年4月に大映京都撮影所に入所した。

 翌62年4月、島崎藤村の原作を市川崑監督が映画化した「破戒」のヒロイン「お志保」役に、主演の市川雷蔵の推薦で抜てきを受けて好演。日本映画プロデューサー協会などの新人賞を獲得した。芸名は永田雅一社長自らが原作者と役名からとって「藤村志保」と命名、期待の大きさを物語った。

 順調に船出した藤村さんは、その後も三隅研次監督の「斬る」、山本薩夫監督の「忍びの者」などに起用され、大映時代劇になくてはならない存在に成長。中でも「新選組始末記」「忍びの者」「眠狂四郎」「若親分」シリーズをはじめとする雷蔵主演作や、「破れ傘長庵」「座頭市」シリーズなど勝新太郎の主演作に重用され、スター女優の階段を駆け上がった。

 67年、三隅監督の「古都憂愁・姉いもうと」で初主演を果たし、翌68年にも山本周五郎原作「おたふく物語」を三隅監督が映画化した「なみだ川」にしんが強く、気の良いおしず役で主演し、代表作とした。
 テレビドラマにも進出し、65年にはNHK大河ドラマ「太閤記」で緒形拳扮する豊臣秀吉の妻ねねを演じ、お茶の間でも人気を集めた。大河には「三姉妹」(67年)、「天と地と」(69年)などに出演。71年の大映倒産後は出演映画は減ったが、松竹「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(77年)でマドンナを務めるなど存在感は示した。

 次第にテレビに軸足を移し、NHK朝の連続テレビ小説「おはようさん」(75~76年)、「ひまわり」(96年)「だんだん」(08~09年)、テレビ朝日「幻花」(77年)、フジ「飢餓海峡」(88年)、NHK大河「太平記」(91年)、「八代将軍吉宗」(95年)などに出演。14年の「軍師官兵衛」ではナレーションを務め、独特な語り口が賛否両論を呼んだ。放送開始前の1月3日に背骨を圧迫骨折する大ケガを負い、7話分からの収録が無理になったため降板するハプニングがあった。

 83年に女優として放送番組向上委員会委員に就任。85年には臓器移植の取材をもとに「脳死をこえて」を書き上げ、第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞。自身も腎臓バンクに登録し、衆院法務委員会で参考人として意見を述べたりした。同作は86年に故大原麗子さん主演でドラマ化もされた。

 放送文化資源や資料の保存にも関心を示し、11年には自身の出演作などの台本576冊を一般社団法人日本脚本アーカイブス推進コンソーシアムに寄贈した。85年からは地唄舞「藤村志保の会」をスタートさせ、隔年ごとに主宰してきた。

 98年に毎日映画コンクール田中絹代賞、川崎市文化賞、07年にNHK放送文化賞、12年文化庁長官表彰など受賞歴も多数。私生活では70年9月に映像コンテンツの企画・制作会社「日本シネセル」(現・CNインターボイス)の静永純一会長と結婚。おしどり夫婦として知られた。

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