【細川たかし 我が道14】あの大ヒット曲は「欽どこ」発 歌詞覚えておらずカンペ使用も…まさかの 

[ 2025年6月15日 07:00 ]

テレビ朝日「欽どこ」で熱唱
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 「心のこり」がヒットしたことで、札幌に残してきた新婚の妻の和子と長男の譲を東京に呼び寄せることができました。勝鬨(かちどき)橋近くのマンションで親子3人水入らずの生活がスタートしました。

 変化は私生活だけでなく、仕事にも表れました。「営業」の仕事が物凄い勢いで舞い込み始めました。当時はいろいろな営業がありました。まず、商店街や地方自治体、農協(JA)などさまざまな企業や団体が主催するコンサートがありました。それだけでなく、得意とするキャバレーなど夜のステージ。呼んでくれるスポンサーがあれば、どこにでも行って歌いました。

 しかし、1年目は「心のこり」と「みれん心」の2枚しかレコードを出していません。B面の「泣きぐせ」「長い夜」を入れても4曲しか持ち歌がありません。ステージを持たせるため、途中で民謡コーナーを挟む苦肉の策で乗り切った思い出があります。そんなこともあり、2年目の76年は「女の十字路」「六つの星」「置き手紙」「北の旅愁」と4枚も新曲を出しました。77年は「おんなの春」「ひとり旅」。78年は「遠い灯り」「ぬくもり」「港夜景」の3枚を次々と発売しました。どれも素敵な作品でしたし、「紅白歌合戦」も連続出場を続けました。しかし、「心のこり」のインパクトが強すぎたのか、なかなか大ヒットには結びつかない時期が続きました。

 気がつくとデビュー7年目を迎えた81年3月。TBSの人気番組「8時だョ!全員集合」に出演した際、企画のゲーム中に右アキレス腱を断裂、約2カ月入院するアクシデントに見舞われました。入っていた仕事も全てキャンセルです。

 その年の秋、テレビ朝日「欽ちゃんのどこまでやるの!」にゲスト出演しました。民謡の先生役という設定で、着流し姿で歌いました。収録後、萩本欽一さんにあいさつに行った際「ケガをしてテレビに出たのは久しぶりでした。テレビっていいですね」と本音を漏らしました。すると「本当に暇なの?じゃあ、来週もおいでよ」と言ってくれたのです。今思い出しても、涙が出る一言でした。

 当時、レコーディングが終わっている作品が2曲ありました。萩本さんは「せっかく歌手なんだから、番組で歌った方がいいよ」と言ってくれました。「大将、恥ずかしい話ですが、まだ歌詞を覚えていないんです」と正直に告白しました。「大丈夫。カンニングペーパーがあるから」と萩本さん。リハーサルが終わり、本番です。♪きたーのー、さかばどおりにはー…と歌い始めると、ピンスポットの強い照明が逆光になり、カンニングペーパーの文字が全く読めません。私の動揺を察知して、萩本さんは「ちょっとストップ!今日はここまで!あとは来週!」と歌の途中でコーナーをやめてしまいました。萩本さん独特の機転の笑いです。前代未聞のバラエティー発の大ヒット曲誕生の始まりでした。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の75歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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