【細川たかし 我が道13】民謡三橋流を受け継ぎます 50年の時を経て「民謡細川流」を発足

[ 2025年6月14日 07:00 ]

76年に「三橋美智貴」という名取を頂きました
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 1975年のデビュー曲「心のこり」の爆発的なヒットで人生が大きく変わりました。

 この年の9月、NHK「お国自慢にしひがし」という番組で沖縄を訪れました。メインゲストは子供の頃からずっと憧れてきた北海道の大先輩、三橋美智也さんです。番組の収録後、三橋さんが行きつけの沖縄料理店に連れて行ってもらいました。レコードを何度も聴いて歌の練習をしたので、三橋さんの作品は全部覚えていました。

 「昔、民謡を歌っていたことがあります。先生、聴いていただけますか?」とずうずうしくも売り込みました。「江差追分」から始まり、クラブ歌手時代の十八番だった「江差恋しや」「リンゴ村から」などを必死に歌いました。じっと私の歌に耳を傾けてくださった三橋さんは「若いのに民謡を歌うのは珍しい。しかも、同じ北海道の出身か。僕のところで少し民謡を勉強しないか?」とありがたい言葉を頂いたのです。

 この前年「民謡三橋流」という流派を創設した三橋さん。すでに10人ほどの名取がいました。この後、三橋さんが公演している佐渡にお邪魔して、楽屋で「津軽じょんがら節」や「斎太郎節」などを口移しで教わりました。また、三橋さんが行きつけの料亭に呼ばれてお酒をいただきながら何度か直々に指導を受けました。その成果として、翌76年1月に「三橋美(み)智(ち)貴(たか)」という名取を頂き、正式に門下となりました。憧れだった三橋さんに直接歌を聴いてもらえただけでも光栄なのに、名取まで頂いて天にも昇る気持ちでした。

 95年の「第46回紅白歌合戦」では、12年ぶり2度目の大トリでした。その時既に病床で危篤状態にあった三橋さんへの思いを抱いて、三橋流の紋付き羽織はかまを衣装に選びました。心をこめて「望郷じょんから」を歌いました。年が明けた1月8日、三橋さんは65歳で亡くなられました。私は新宿コマ劇場で2日から正月公演をしている最中でした。その時「いずれ自分も弟子を取り、民謡三橋流を受け継ぎます」と誓ったことは忘れられません。

 その思いを抱き続けて28年。昨年10月に「民謡細川流」を発足しました。津軽三味線の第一人者である細川貴義さん(旧名・澤田勝春)に家元になってもらいました。今年2月5日に開かれた「日本郷土民謡協会」(最高顧問・笹川堯)の新年会で「民謡細川流」の正式加盟が認められ、理事会で宗家の私が協会顧問に就きました。弟子の歌手、彩青(りゅうせい)をはじめ、民謡に熱い情熱を持った同志が60人ほど集まりました。これから本格的に活動を始めますが、民謡は日本の風土に根付いた生活の歌であり、大事な日本の伝統文化です。50年前の沖縄で初めて出会った三橋さんから授けられた民謡にかける思い。それを脈々と受け継いで、民謡の裾野を広げていきたいと思っています。

 ◇細川 たかし(ほそかわ・たかし)1950年(昭25)6月15日生まれ、北海道出身の74歳。札幌・ススキノのクラブ歌手時代にスカウトされ、75年4月に「心のこり」で日本コロムビアからデビュー、第17回日本レコード大賞最優秀新人賞。82年「北酒場」、83年「矢切の渡し」で史上初の日本レコード大賞2連覇。84年「浪花節だよ人生は」で同賞最優秀歌唱賞を受賞し「レコード大賞3冠」を達成。ほかに「望郷じょんから」など。

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