映画監督に著作権がないってご存じでした?(下)

[ 2025年3月6日 15:01 ]

シンポジウムに出席した滝田洋二郎監督(左)と伊藤俊也監督
Photo By 代表撮影

 【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】「映画監督って何だ!」に話を戻そう。1969年6月、五所平之助、稲垣浩、関川秀雄はじめ日本映画の黄金期を築いた人たちが参加した国会へのデモのニュース映像が映し出される。シンポジウムにパネリストとして参加した滝田洋二郎監督(69)の「黙々と陣頭に立った巨匠たち。協会があったからこそ1つにまとまった。魂と矜持(きょうじ)を訴えた誇り高い映像だ」の言葉が重く響いた。

 監督協会が要求しているのは著作権法第29条の撤廃だ。

 第29条とは

「映画の著作物の著作権者は、その著作権が映画製作者に対し当該映画の著作物の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する」

 というもの。

 映画はなぜ、作家、画家、作曲家等と同様に、自然人の著作権(監督等)ではなく、法人の製作者が著作権者となるのか。これについては

 理由(1) 巨額の製作費を回収するため
 理由(2) 上映等に、多数の著作者(第16条)の許諾が必要となり、作品の流通が妨げられるため

 とされている。

 ※第16条とは
「映画の著作物の著作者は、その映画の著作物において翻案され、又は複製された小説、脚本、音楽その他の著作物の著作者を除き、制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与したものとする」

 というもの。

 パネリストとして日本シナリオ作家協会から出席したハセベバクシンオー理事長(55)から「個人的には(著作権が)監督1人に帰属するというのは少々違和感がある」との意見が出ると、伊藤俊也監督が「この映画を見た上で、そんな発言が出ることこそ違和感がある」と反論し、滝田監督も「どんなに優れた脚本でも、先に進める人がいて生の撮影現場からしか(映画は)生まれない。どんな芝居も絵も、フィルムにならないと存在しない。みんながわいわいやって出来るものじゃない。ジャッジを下すのは監督だ。それが伝わっていない」と語気を強めた。議論は白熱したが、シナリオ作家協会との温度差を感じさせる一幕であった。

 第2部には「聖の青春」や「愚行録」「ある男」などの脚本を書いた向井康介氏(47)や「箱男」などで知られる、いながききよたか氏(47)らが出席。「俳優と監督の名前で(映画を)見ている」と話す向井氏は「監督その人が作った演出がある。最後の決定権は監督。著作権があっていい」と意見を述べた。

 いながき氏は「脚本家はシナリオに原著作権を持っている。シナリオを書いて、全然違った映画になっていることがある。それはルール違反」と指摘。映画「189」の脚本で知られる長津晴子さんは「ハリウッドではAIの登場で著作権の行方が大きく変わりかねない。日本でも手を組んでやらないと危ないと思う。脚本家が小宇宙を創り、監督は大指揮者」と問題を提起して結束を呼び掛けた。

 「七人の侍」の著作権が黒澤明監督になく、「東京物語」の著作権が小津安二郎にないのが現状。09年2月、第81回米アカデミー賞表彰式で外国語映画賞(現・国際長編映画賞)を受賞した滝田監督の「おくりびと」も、監督に著作権がないことに、どうしても違和感を覚えるのは筆者だけではないだろう。

 そのくせ、わいせつ裁判などが起こると、矢面に立ってきたのはたいてい監督だ。

 「映画監督って何だ!」は当時、病気療養中だった大島渚監督が和紙に太い筆で

 「監督は映画の著作権者である」

 と気迫で書ききるところで終わる。

 これからも引き続き、監督協会の動きを追っていきたい。

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