ワッキー(2)大学中退…進路決まらぬ時、まさに“運命のドア”を開けるとそこにヒデがいた

[ 2025年3月5日 17:02 ]

初めてプロデューサーという大役を務めるワッキー
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 高校サッカーのトップ選手からお笑いへの転身は運命的なものさえ感じさせるエピソードだ。芸人になってからも仕事に誠実に向き合い、気づけば31年の芸能生活となった。そんなワッキーの現在の目標とは?

【ワッキーインタビュー(2)】

◆◆ 死に直面した経験が行動規範を変えた ◆◆

 ―ワッキーさんはガンを患ってかなり苦しまれました。その経験は自身の死生観であったり、考えが変わったようなことはありますか?

 「単純にちょっと死に直面したことによって、いつ死ぬかわかんないなっていう思いにはなりました。それは僕の中で大きくて、ゆっくり考えてちゃいけない、ちょっと焦るくらいに行動しないといけないと思うようにはなりました。この舞台に関してもその気持ちは周囲に伝えたし、こいつ、そういう気持ちなんか、頑張ってやってやらないとな、とみんながなってくれたところはあるかもしれないです。ちょっとずるいですけどね」

 ―そもそもなぜ芸人になろうと思われたのでしょうか?

 「高校のときにサッカーでそれなりに認められたんですが、当時はJリーグのJもなかったんです。日本のサッカーシーンで高校サッカー選手権が一番華やかだったんですよ。インターハイで優勝して、選手権でも成績を残して、もう燃え尽き症候群的な感じではあったんです。一応、(専修)大学には行ったんですけど、膝が悪くてドクターストップ食らっちゃって夜逃げみたいな感じでサッカー部の寮を飛び出して中退しました。でも、寮も先輩も大好きだったので、久しぶりに遊びにいったんです。で、一番最初に開けた部屋のドアに高校の先輩だった相方のヒデさんがいたんです。ぼく、ヒデさんに挨拶もせずに夜逃げしたから、ヤベと思ってドアを閉めようとしたら、ヒデさんに便所来いって言われて。マジで殴られると思ったんですけど、そしたらヒデさんが俺と一緒にお笑いやらないかって言われて」

 ―お笑いに挑戦したい気持ちはあった?

 「全然(笑い)。でも、小学校の頃からあこがれはありました。人を笑わせるのも好きだったので。ヒデさんに言われて、なんかお笑いを目指すということがスーッと入ってきて。サッカー選手として有名になれなかったけど、お笑いならと思って。もしヒデさんの部屋のドアを開けてなかったら全然違ったでしょうね。そう考えると運命的ですよね」

 ―当時は東京にNSCとかなかったんですよね。

 「はい。だから、目指すのは決めたものの、ネタもどこで披露するの?みたいな感じでした(笑い)。で、2人で街を歩いてたらオーディション雑誌みたいなのを見つけて、そこに吉本が初めて東京に劇場を出します、と書いてたんです。銀座7丁目劇場です。それを受けて合格したのがデビューのきっかけでした。同期みたいなのも多かったですけど、残っているのはロンドンブーツとかですかね。まあ31年も経ってるんで」

◆◆ 今も感謝している極楽とんぼ・山本圭壱の推薦 ◆◆

 ―そこからはしばらく下積み生活ですね。

 「そう。とにかく劇場に出て頑張るしかなかったですね。そんな時に急にテレビの演出家の方からお声がかかったんです。聞いてみたら、芸人を褒めないことで有名な極楽とんぼの山本(圭壱)さんが推薦してくれたって。極楽の2人は芸能界のお兄ちゃんみたいな人たちだったんで、ずっと見ててくれていて推薦してくれたんでしょうね。だから、今も恩に感じています。そこで、そこそこ笑いも取ることができて、そこからテレビにちょろちょろ出させてもらうことになりました」

 ―スポーツでこれだけ実績を上げられた芸人さんも珍しかった印象です。

 「とんねるずさんくらいですね。ただ、2人とも全国優勝してるっていうコンビはいないかな(笑い)」

 ―確かに(笑い)。

 「でも、さんまさんもよく言われるんですけど、売れるまでが大変じゃなくて、売れてからが大変なんやって。まあ、僕らは売れたかどうかわかんないですけども、そういう思いがやっぱりあって。その中で芸人それぞれのキャラ、役割みたいなものがあるっていうことに気づきました。僕はやっぱり体を動かすこと。顔芸とかギャグとか、そういう役割なのかなっていうふうに思って。もちろんトークとかもベースでできなきゃいけないんですけど。その中でワッキー、もしくはまあ、脇田康人という男はどういう男なんだっていう、根っこが生えているところの上にキャラを立てないと全然見透かされちゃう。弱いし、面白くないとなっちゃう。そういう意味でも、ぼくが影響を受けたのは志村けんさんと、コロッケさんでした。もう絶対的におもしろい。外国人が見てもおもしろい。例えば志村さんのバカ殿とか、普遍的におもしろいわけじゃないですか。そういうところがぼくの究極の芸人としての夢ですね」

 ―それと、サッカー界にも貢献されていらっしゃる印象です。

 「日本のサッカー、Jリーグには恩返しをしたい。ぼくがいまあるのは、日本でサッカーをやっていたからですから。ときどき、海外のサッカー見たらJリーグなんか見れないよ、みたいなこと言ってるやつがいるじゃないですか。アホかって言いたい。日本人だろ?って。我が国には世界に誇るプロサッカーリーグがあるじゃありませんか。日本人ならJリーグも見ようぜ。海外サッカーはぼくも大好きだし、面白い。だからJリーグを、じゃなくて、Jリーグも、見ようぜと訴えたいです」

 ―昔は活躍したら海外へ、というイメージでした。今はどうなのですか?

 「もちろんトップ級は海外でやって、代表などでその経験を還元してくれていますが、最近はしっかり自分の活躍の場を判断して、1年ぐらいで帰ってきて、また元のチームでやるっていう流れにもなってきてますね。それは母体としてちゃんとJリーグがあるから。挑戦するならいいよ、でも、いつでも帰ってこいよっていう感じになってきてるんです。だから選手も、やっぱJリーグの方がいいじゃん、面白いじゃんみたいな感じになってきてる気はしています。やっぱり日本のね、プロスポーツビジネスっていうのは世界的に見てもすごい優秀。選手も肌で感じてる部分はあるんですよね。

 ―恩返ししないといけないことがいっぱいありますね。

 「そうなんです(笑い)。サッカーも、芸人仲間も、そして今回の舞台に関わってくれる人たちも。だからこれからも焦って焦って、いろんなことに挑戦していきたいですね」=終わり

 【取材を終えて】1時間の取材の予定が1時間半になってしまった。熱い気持ちに思わず引き込まれ、次々と質問を繰り出してしまった。

 舞台プロデューサーという大役を務められたのも「周囲のみんなのおかげ」と言う。そんなことはない。メインのアース製薬をはじめ、何度も何度もいろんなところに足を運んだ。そして、作品に賭ける熱い思いをぶつけ続けた結果が舞台化の実現につながった。周囲のスタッフが奔走してくれたのも、熱意にほだされたからだ。

 突拍子もないギャグで笑わせながらも、スポーツ系の企画では真摯にかつひたむきに取り組み、視聴者の涙を誘った。30年に及ぶ芸能生活で育んだ人間力。これからもさまざまなジャンルでそのパワーを発揮する。(江良 真)

 ◇「Mother~特攻の母 鳥濱トメ物語~」(19~23日、東京・新国立劇場、脚本演出・藤森一朗)鹿児島・知覧で、特攻の任務を控える兵隊を支えた食堂の女主人。戦後も国籍に関係なく若い兵隊を支え続けた。今回は主演を浅香唯が務め、元フィギュアスケーターの安藤美姫も出演する。

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