「仁義なき戦い」ポスターを生んだ文太さんの決断力「海に行こう」

[ 2014年12月4日 05:30 ]

富山さんが手がけた「仁義なき戦い」のポスター。若狭湾でヘリを飛ばしさざ波を起こすという大掛かりな撮影だった

 先月28日に81歳で死去した俳優の菅原文太さんの代表作「仁義なき戦い」のポスターをはじめ、長く文太さんにカメラを向けた写真家の富山治夫さん(79)が撮影秘話を明かし、故人をしのんだ。

 東映から最初に依頼があったのが72年。「文太さんのことを知らなかったので“モンタさん”と呼んでいた」と苦笑いしながら振り返った。

 イメージを膨らませるために出向いた京都・太秦の撮影所で、「やくざ映画なんだから、16ミリ映写機を手持ちで使えば、カメラマンの心臓の鼓動が観客にも伝わるのでないか。そう深作欣二監督に進言した」と裏話も披露。「仁義…」の緊迫感あふれる映像は、この一言から生まれた。

 そしてポスター撮影。「初めはスタジオで撮っていたが、文太さんが乗ってきて“あした朝、海に行こう”と言い出した。それで若狭湾まで出掛けたんです」

 入れ墨を背負った文太さんが日本刀を手に海に入る。「海中に三脚を立て、浮かんでいる構図。ヘリを飛ばして、さざ波を起こしてね」と大掛かりな撮影を述懐。このときの写真が、同作のブルーレイBOXのジャケットなどに使われている。

 東映カレンダー用の撮影も依頼され、10年ほど撮り続けた。富山さんが81年に写真集「京劇」の仕事で芸術選奨文部大臣賞を受賞すると、お祝いのパーティーにも駆けつけてくれたという。「銀座で二次会、三次会、四次会…と5、6軒はしご。当時のお金で200万円ほどかかったが、文太さんが“自分に払わせてほしい”と言ってくれた。もちろん断ったが、半分は出してもらったかな」

 文太さんが脱アウトローを図った際には「サントリーのCMを勧めたんです…」と、寂しそうな顔を見せた。

 ◆富山 治夫(とみやま・はるお)1935年(昭10)2月25日、東京都生まれの79歳。女性自身、朝日新聞社を経て66年からフリー。著書に「佐渡島」「京劇1・2」など。05年4月からスポニチに「現代語感」を連載。12年旭日小綬章。

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